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本郷は、樋口一葉、坪内逍遥、石川啄木ら多くの文人たちが住んでいた。
今日は、本郷から神田まで散歩したい。
総武線水道橋駅下車
東京ドーム前陸橋通過
春日駅から真砂町市場の脇を抜ける。
栗が落ちていた。
鐙坂(あぶみざか) 本郷台地から菊坂の狭い谷に向かって下り、先端が右に ゆるく曲がっている坂である。名前の由来は「鐙の製作者 の子孫が住んでいたから」(『江戸志』)とか、その形が「鐙 に似ている」ということから名付けられた(「改撰江戸志」)な どといわれている。 この坂の上の一帯は上州高崎藩主大河内家松平右京 亮の中屋敷で、その跡地は右京山と呼ばれた。 文京区教育委員会 平成6年3月 |
宮沢賢治旧居跡 文京区本郷4-35-4 宮沢賢治(明治29年〜昭和8年)は詩人・童話作家。花巻市生まれ。 大正10年1月上京、同年8月まで本郷菊坂町75番地稲垣方二階六畳に 間借りしていた。菜食主義者で馬鈴薯と水の食事が多かった。 東京大学赤門前の文信社(現大学堂メガネ店)で謄写版刷りの筆耕や 校正などで自活し昼休みには街頭で日蓮宗の布教活動をした。これらの活 動と平行して童話・詩歌の創作に専念し、一日300枚の割合で原稿を書い たといわれている。童話集「注文の多い料理店」に収められた「かしわばや しの夜」、「どんぐりと山猫」などの主な作品はここでかかれたものである。 8月、妹トシの肺炎の悪化の知らせで急ぎ花巻に帰ることになったが、ト ランクにはいっぱいになるほど原稿が入っていたという。 −−−郷土愛をはぐくむ文化財−−− 文京区教育委員会 平成9年3月 |
一葉ゆかりの伊勢屋質店(本郷5-9-4) 万延元年(1860)、この地で創業し、昭和57年に廃業した。樋口一葉(1872〜96) と大変縁の深い質店であった。 一葉の作品によると、一葉が明治23年m近くの旧菊坂町(現本郷4丁目)の貸家に母 と妹と移り住んでから、度々この伊勢屋に通い、苦しい家計をやりくりした。明治26年、 下谷竜泉寺町に移ってからも、終焉の地(現西片1−17−18)にもどってからも、伊勢 屋との縁は続いた。 一葉が24歳の若さで亡くなった時、伊勢屋の主人が香典を持って弔ったことは、一葉 とのつながりの深さを物語る。店の部分は、明治40年に改築した。土蔵は外壁を関東 大震災後塗りなおしたが、内部は往時のままである。 〜一葉の明治26年5月2日の日記から〜 此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ、 羽織二つ、一風呂敷につゝみて、母君と我と持ゆかんとす。 蔵のうちにはるかくれ行ころもがへ 郷土愛をはぐくむ文化財 東京都文京区教育委員会 昭和63年3月 |