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東京散歩(新宿御苑、神宮外苑)(14.6.15)


今日は雨模様であったが10時過ぎに新宿御苑に向けて出発した。
新宿まで出て、新宿門まで10分ほどでつく。
入園料は200円。
新宿門には、インフォメーションセンターがあり、ここで概略の地形と見所をつかむ。


新宿御苑のルーツ
新宿御苑の敷地は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷地の一部である。東は四ツ谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西に伸びる街道と鎌倉街道が交差する要所であった。このため、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたものとされる。
現在、大木戸門を入った突き当たりにある玉藻池を中心とする日本庭園は、安永元年(1772年)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園「玉川園」の一部である。
明治期に入り新宿植物御苑から皇室庭園になり、戦後一般開放された。


新宿門の入り口




早速、巨樹が目に入る。
この公園にはこの様な巨樹がまだまだたくさんあるようだ。
「巨樹下の五月闇かな早歩く」


園内では丁度あじさいの見ごろである。
「紫陽花はやつぱり雨が似合いかな」






「五月雨や頂隠す摩天楼」


昭和天皇のご成婚を記念して作られた「旧御涼亭」
「梅雨寒や縁の風の通るとこ」


「睡蓮の影を映して池静か」


(。=^w^=。)さん。


温室に入ってみませう。










温室から千駄ヶ谷門へ行く途中の巨樹!
大きな木のあるところを散歩すると気持ちがいい!


千駄ヶ谷門を左に曲がり、線路の下を抜けると千駄ヶ谷駅だ。
駅を抜けて、国立競技場を抜けると神宮外苑である。




入場料500円を払い入る。
80点の名画が並べて展示されており、興味がわかない。
足も疲れており、最後の頃の絵を見ると、何故か興味が沸く。
もう一度、最初から解説文を読みながらじっくりと80枚を鑑賞した。
300年の徳川体制を明治の40年あまりで近代化の改革を成し遂げた
事実に興味が沸いたのであろうか。


この中の十二番は五箇条御誓文
時 明治元年3月14日(1868年4月6日)
所 京都御所内
奉納者 侯爵 山内豊景 
画家 乾 南陽

明治元年3月14日、天皇は公家、諸公を紫神殿に集め、神前で明治の
新しい政治の基本方針五箇条を誓納され、国民全体に知らせるよう指示
されました。御誓文は。簡潔な文章で政治の基本とすべき不朽の方針を
述べたもので、明治時代の驚くべき躍進の基となったものです。
「五箇条御誓文」
一 広く会議を興し万機公論に決すべし
一 上下心を一にして盛んに経論を行ふべし
一 官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめん事を要す

一 旧来の陋習を破り天地の公道に基づくべし
一 知識を世界に求め大に皇基を振起すべし



御誓文の現代文訳
一 広く人材を集めて会議体を設け、重要政務はすべて公正な意見によって決定せよ。
一 身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国策を遂行せよ
一 朝臣武官の区別なく。さらには庶民の総てにわたって、各自の志望を達成
できるようにはからい、人々を失意の状態に追いやらぬことが肝要である。
一 これまでのような、かたくなな習慣を打破して、普遍性のある道理に基づいて進め
一 知識を世界の先進国に求めて、天皇の大業を振興せよ。

これより、わが国では前例のない大変革を行なおうとするにあたり、わたしはみずか
ら諸臣の先端に立ち、天つ神、国つ神に誓い、重大な決意のもとに国政に関するこ
の基本事項を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところであ
る。諸臣も、またこの趣旨に基づいて心を合わせ努力せよ。




なんじゃもんじゃの木?
聖徳記念絵画館を出て左手のある。




御観兵榎(ごかんぺいひのき)
祖父の初年兵時代は近衛兵で、練兵場の話が出たが、
この周辺で訓練をしていたのかと思う。
ポプラ並木の傍にこの榎があった。


150円のコーヒーを頂く。


キラー通り




娘が乗馬を始めたと聞いて、興味を持つ。
カーボウイハット7000〜8000円ほど。


竹下通りを経由して原宿の駅から帰る。

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