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三省堂 「新歳時記」 虚子編から
季語の資料として引用しています。

一月の季語

新年(しんねん)
年の始を新年といふ。新玉の年ともいふ、年改るともいふ。
年立つともいふ。新歳・年頭・初年・年迎ふ・年明く等も
新年の義である。又旧暦では新年と春とが殆ど同時に来た
ものであるところから、春といふ字を新年の意義に使った
ものが多かつた。それが今日になつても矢張り習慣的に残
つている。例へば御代の春・明(あけ)の春・今朝(けさ)
の春の如きもの、又は新年著を春著といふが如きもの。
「鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春」其角
「誰ひとり掃とも見えずけさの春」蓼太
「年明て又珍らしや松の雪」一之
「あばら家や其身その儘明の春」一茶
「あら玉の春や御垣の雀にも」北元
「樽前の煙めでたし今朝の春」手寒
「信心のみくじ吉なり今朝の春」無字
「子と遊び夫とかたり妻の春」静雲
「酒もすき餅もすきなり今朝の春」虚子
「あら玉の春のめでたき日の出かな」よっち

元日(ぐわんじつ)
一月一日。昔は旧暦の一月一日をいつたので春であつた。
「元日やおもへば淋し秋の暮」 芭蕉
「元日の事皆非なるはじめかな」 虚子

初詣(はつまうで)
新年になつて神社・仏閣にお参りすることである。
伊勢に初詣を志す人達は大晦日の夜から出かける
ことが多い。元旦、拝殿に額けば霊験総身に沁み
徹るであらう。
「なみなみと給はる新酒や初詣」 なみ女
「神慮いま鳩をたたしむ初詣」 虚子

年賀(ねんが)
元日より三ヶ日、親戚・知人・朋友等を相互に訪問し
あつて新年のが賀辞を述べることをいふ。 年始。
年禮(ねんれい)。廻禮(くわいれい)。
「年禮の城をめぐりて暮れにけり」 虚子

賀状(がじょう)
年賀状のことをいふのである。年に一度の便りの年賀状
もあり、元日早々之を受取るのは楽しいものである。
「新妻の友の賀状もちらほらと」 播水
「叔父ぞとも見らるる叔母の年賀状」 虚城

嫁が君(よめがきみ)
新年の鼠のことである。
「嫁が君出て貧厨のめでたさよ」孤峰
「内陣を御馬駆けして嫁が君」月尚
「連なりてがてんがてんや嫁が君」駒吉
「三寶に登りて追はれ嫁が君」虚子
「嫁の君天井裏でデートかな」よっち

雑煮(ぞうに)
「貞丈雑記」に雑煮の本名をほうぞうといふとある。
臓腑を保養する意である。三ヶ日毎朝餅を羹にして
神佛に供へ、一家挙つてこれを食うべて年を祝う。
海山さまざまのものを投じて食べるので雑煮といふ。
「長病の今年も参る雑煮かな」 子規
「一学系を率いて食う雑煮かな」 虚子

初夢(はつゆめ)
二日の夜から三日の暁にかけて見る夢である。その
年の吉凶を占ふ。宝船・獏の礼札を枕の下に敷寝し
て吉夢を得ようとし、もし悪夢を見たときは之を水
に流す。地方または時代によって、節分の夜から立
春の暁に至る夢をさすとの説もあるが、現在では一
般に一日の夜から二日の朝にかけて見る夢をいつて
いるやうである。
「初夢に故郷を見て涙かな」 一茶
「初夢の唯空白を存したり」 虚子

寒の入(かんのいり)
小寒から立春前日迄凡そ三十日間を寒といひ、其寒
に入るのをいふのである。概ね一月六日に当る。北
陸地方では、この日に、寒固といつて小豆餅などを
食ふ習慣が残つてゐる。
「うす壁にづんづと寒が入にけり」一茶
「駕脇に高股立や寒の入」一茶
「からからと寒が入るなり竹の宿」虚子

小寒(せうかん)
冬至の後十五日目、一月六日頃に当り、寒気が漸く
強い。

寒の内(かんのうち)
寒の入より寒明までの約三十日間をいふ。単に寒と
いふのも主に此の寒の内のことである。寒の内には
寒の水を取るとか、寒灸をすゑつとか其他いろいろ
の行事がある。
「乾鮭も空也の痩も寒の内」芭蕉
「御佛飯焼いていたゞく寒の内」雨圃子
「一切の行蔵寒にある思ひ」虚子

寒稽古(かんげいこ)
撃剣、柔道等を修むるものが寒中特別に猛烈な稽古
をするのを寒稽古といふ。早朝まだ暗い内に起きて
道場に行き、又は夜が更けて寒気肌を刺す時心身を
ひき緊めて鍛錬するのである。又芸事にもいふ。
「くぐり門押せば開くなり寒稽古」 野風呂
「寒稽古病める師匠の厳しさよ」 虚子

七種(ななくさ)

「せりなづな御形はこべら佛の座すずなすずしろこ
れや七種」−初春の野に立ち出でて之を摘み、羹と
することは中国から伝わったことで、古く万葉時代
から行われていた。万病を攘ひ、邪気を除くといは
れ、若い乙女子の手に摘まれ、煮られるのが本義と
されている。昔は上子の日に摘み、之を天子に上つ
たのであるが、いつしか七日に行う習となつた。春
の七草。
「七草や兄弟の子の起きそろひ」太祇
「摘みゆけど春の七草揃はざる」秀好
「七草や似つかぬ草も打ちまじり」夏山
「七種に更に嫁菜を加へけり」虚子
広辞苑から。
なな‐くさ【七草・七種】
@七つの種類。なないろ。いろいろ。
A春の七種の菜、すなわち芹(セリ)・薺(ナズナ)・御形
(ゴギヨウ)・ハコベ(ハコベ)・仏座(ホトケノザ)・菘(スズナ)・
蘿蔔(スズシロ)の称。古くは正月七日に羹(アツモノ)にした。
後世は、これを俎(マナイタ)に載せて囃(ハヤ)してたたき、
粥に入れて食べた。季・新年。赤染衛門集「春日
野の今日―のこれならで」
B秋の七種の草花。萩・尾花・葛(クズ)・撫子(ナデシコ)・
女郎花(オミナエシ)・藤袴・朝顔(朝顔は今のキキョウをいう
か)。万八「秋の野に咲きたる花をおよび折りかき数ふ
れば―の花」
C「七種の節句」の略。
そこで一句。
「七草やどこに七草ありしかな」よっち

若菜(わかな)
若菜は七種の総称。
若菜摘(わかなつみ)。
「摘む人の傍に寄り若菜つむ」 温亭

七種粥(ななくさがゆ)
七種を打ち囃して、悪鳥を禳(はら)ふといひ伝えなど
はよしなくとも、冬枯の野に出て、星や青々と鮮かな色
をなしてゐる七種を摘み、これを粥にして食するといふ
ことは新年の一日にふさわしい清々しい行事である。
薺(なずな)粥。
「薺粥箸にかゝらぬ緑かな」蝶衣
「白箸に色かぐわしき薺かな」秋皎
「薺粥さらりと出来てめでたけれ」杣男
広辞苑から。
ななくさ‐がゆ【七種粥】
@正月七日に、春の七草を入れて炊いた粥。後には薺(ナ
ズナ)または油菜のみを用いた。菜粥。季・新年
A正月一五日に、米・粟(アワ)・稗(ヒエ)・黍(キビ)・小豆な
ど七種のものを入れて炊いた粥。後には小豆粥となった。
ななくさ‐の‐はやし【七草の囃し】
七草の祝に、前日の夜または当日の朝、俎(マナイタ)に薺(ナ
ズナ)または七草や台所のすりこぎ・杓子などを載せ、吉
方(エホウ)に向かい、「唐土(トウド)の鳥が日本の土地へ渡ら
ぬ先になずなななくさ(ななくさなずな)」、または「唐
土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に、ななくさなずな手に摘
み入れて」などと唱え囃しながら、それらを叩く習俗。
季・新年
そこで一句。
「餅入の七草粥を食しけり」よっち

初寅(はつとら)
一月最初の寅の日、京都では初寅詣(はつとらまゐり)と
いつて、鞍馬寺の毘沙門天に参詣する。二の寅・三の寅な
どといふのもある。この日鞍馬の土民は、福掻(ふくかき)
・福ムカデ・燧石などを売るのを例とした。ムカデは毘沙
門天の使なのである。東京では神楽坂の毘沙門、品川南馬
場の毘沙門なども参詣者が多い。福寅。
「初寅や櫻寂しき鞍馬寺」芝友
「初寅や施行焚火に長憩ひ」王城
「初寅の客一組や貴船茶屋」草径
「初寅や貴船へ下る小提灯」青雲
広辞苑から。
はつ‐とら【初寅】
新年初めての寅の日。この日に毘沙門天(ビシヤモンテン)に詣で
る習慣がある。季・新年。
狂、毘沙門「今は―でござるによつて鞍馬へ参詣致そうと
存ずる」
そこで一句。
「初寅や毘沙門会いに鞍馬まで」よっち

初金毘羅(はつこんぴら)
金毘羅様の縁日は毎月十日であるが、一月十日は
初金毘羅といつて参詣者が多い。讃岐の金刀比羅
宮は古来有名である。東京では芝虎の門の琴平神
社が賑ふ。この神様は太刀を執つて薬師如来を護
る神将で、魚身蛇形、尾に宝玉を蔵する天竺霊鷲
山の鬼神である。縁日には必ず雨が降るといふ古
伝がある。
「道すがら初金毘羅のお賑ひ」ひろし
「ながし樽金毘羅にとゞきけり」婆羅
広辞苑から。
こんぴら【金毘羅・金比羅】
(梵語 Kumbhra  鰐魚の意) 仏法の守護神の一。
もとガンジス河にすむ鰐(ワニ)が神格化されて、仏
教に取り入れられたもの。蛇形で尾に宝玉を蔵す
るという。薬師十二神将の一としては宮毘羅(クビ
ラ)大将または金毘羅童子にあたり、わが国で香川
県の金刀比羅宮に祀るのはこの神という。航海の
安全を守る神として船人が最も尊崇。
そこで一句。
「船々と初金毘羅に口ずさみ」よっち

十日戎(とをかえびす)

初恵比寿(はつえびす)ともいふ。一月十日である。各地にある
ことであるが、兵庫県西宮神社、大阪の今宮、京都建仁寺門の蛭
子社などは殊に賑わう。これは元来商売の神様で商人の信仰は特
に篤いが、聾(つんぼ)であるというので、表からお詣りするば
かりでなく社後へ廻って羽目板を敲(たた)き「只今詣りました」
と念を押して帰る風習があるといふ。九日が宵戎(よひえびす)、
十一日が残り福(のこりふく)。又色々な宝物を小笹に吊るして
売る。これを福笹)ふくざさ)・戎笹(えびすざさ)或いは吉兆
(きつてう)といふ。
「福笹にきりきり舞の小判かな」 抱夢
「福笹をかつげる夫を見失ふ」 三代女

春場所(はるばしょ)
毎年、一月十日前後から十五日間、東京の国技館で
行はれる大角力である。
一月場所。正月場所。
「春場所の其横綱の男ぶり」 虚子

餅花(もちばな)
一月十四日、餅の小さな玉を作り、様々の色にそめ、
これを樹枝に挿して神前に供へる。繭に象つたもの
で繭玉ともいふ。養蚕の盛んなのを祝ふのであるが、
今日では唯部屋の飾、ショーウインドの装飾などに
その華やかさを止めてゐるのみである。
「餅花や灯たてゝ壁の影」其角
「壁花をくゞりて入りぬ電話室」洛山人
「餅花や酔ひ打臥せる枕許」活東
「餅花の影一ぱいに灯りけり」薫子
「あふ向いて餅花をつるす女かな」北村
「餅花のふれたる髪に手をやりし」花洞
「餅花の賽は鯛より大きけれ」虚子
広辞苑から。
もち‐ばな【餅花】
餅を小さく丸め彩色して柳の枝などに沢山つけたもの。
小正月に神棚に供える。季・新年
まゆ‐だま【繭玉】
小正月の飾り物。柳・榎・山桑・アカメガシワなどの枝
に餅・団子などを沢山つけたもの。繭の豊かにできるこ
との予祝。のちには柳などの枝に菓子種で作った球を数
多くつけ、七宝・宝船・骰子(サイ)・鯛・千両箱・小判・
稲穂・当矢(アタリヤ)・大福帳など縁起物の飾りを吊し、神
社などで売るものとなった。まいだま。まゆだんご。な
りわいぎ。季・新年
そこで一句。
「餅花の飾りてうれし手を合はせ」よっち

薮入(やぶいり)
一月十六日、一日仕事を休み、使用人を父母の膝下
に帰らせ又は自由に外出せしめることをいふ。現在
では十五日を成人の日とする。養父入(やぶいり)。
里下り。宿下り。
「やぶ入のまたいで過ぬ凧の糸」蕪村
「やぶ入や琴かき鳴す親の前」大祇
「養父入や行灯の下の物語」召波
「薮入や思ひは同じ姉妹」子規
「薮入の田舎の月の明るさよ」虚子
「薮入や何も言はず泣き笑い」ラジオから
広辞苑から。
やぶ‐いり【藪入・家父入】
奉公人が正月および盆の一六日前後に主家から休暇
をもらって親もとなどに帰ること。また、その日。
盆の休暇は「後の藪入り」ともいった。宿入(ヤドイリ)。
季・新年。一代女四「されども―の春秋をたのしみ」
そこで一句。
「薮入や息子の背丈また伸びて」よっち

凍る(こほる)
寒気に逢つて普通水分の凝結するのをいふのである
が、俳句では「凍月」「頬凍てる」等と、凍てた感
じのものを採入れる場合が少なくない。冱てる。凍
土(いてつち)。
「手拭も豆腐も氷る横川かな」蕪村
「うらの戸や腹へひゞきて凍割るゝ」一茶
「手拭のねぢつたまゝの氷かな」一茶
「頬凍てし児を子守より奪いけり」雉子郎
「凍月の桑にからみて沈みけり」秋香
「この道もやがて凍てんと歩きゆく」立子
「地球凍てぬ月光之を照しけり」虚子
広辞苑から。
こお・る【氷る・凍る】コホル
〔自五〕水分などが寒気にあって凝結する。しみる。
季・冬。万二○「佐保川に―・り渡れる薄氷(ウスラ
ビ)の」。「池が―・る」
そこで函館の凍った道を思い出し一句。
「ゆるゆると凍てし夜道を進みけり」よっち

冴ゆる(さゆる)
寒いとか冷たいとかいふ意味であるが、更に凛冽た
る寒さの感じがある。風冴ゆるは乾いた、刺すやう
な寒さの風。鐘冴ゆるは風強く鐘の響が殷々と冱て
つくやうに感じられるのをいふのである。月冴ゆる。
「此かねや袖が摺れてもさゆる也」几董
<平家を聴く>
「琵琶冴えて星落来る臺(うてな)かな」子規
「中天に月冴えんとしてかゝる雲」虚子
広辞苑から。
さ・える【冴える・冱える】
〔自下一〕 [文]さ・ゆ(下二)
@冷える。源総角「霜―・ゆる汀の千鳥」
A光・音・色などが澄む。季・冬。千載夏「五月雨
の雲のたえまに月―・えて」。「―・えた音色」
B頭や目の働きが鋭くなる。また、腕前などがあざや
かである。「目が―・える」「―・えた弁舌」
C(多く「冴えない」の形で) きわだったところがなく
物足りない。「―・えない男」
「影を見て振りかえしかな月冴える」よっち

霰(あられ)
ふいに烈しい雨音がきこえると見れば地上に白い小粒が跳
ね上つてゐる。霰である。さつと降り落ちる霰の音は一種
潔い気持のするものである。玉霰(たまあられ)は霰の美称。
「いかめしき音や霰の檜木笠」芭蕉
「石川の石にたばしるあられかな」芭蕉
「いさみたつ鷹引据る霰かな」芭蕉
「呼かへす鮒売見えぬあられかな」凡兆
「玉霰漂母が鍋をみだれうつ」蕪村
※ひょう‐ぼ【漂母】ヘウ‥
(「漂」は水に綿をさらす意) 洗濯をする老婆。また、韓信
が困っていた時、漂母に食事を恵まれたという故事から、
食事を恵む老婆。鶉衣「―が飯の情よりうれしさはまさらめ」
「かさ守のおせん出て見よ玉霰」一茶
「駆け込みし女房の髪に霰かな」虚子

風花(かざはな)
晴天にちらつく雪をいふ。又風の出初に少し降る
雪ともいふ。
「風花に紺のたちつけ干してあり」 雲十
「日ねもすの風花淋しからざるや」 虚子

雪(ゆき)
昔から月雪花と讃へられているやうに、雪は冬を象徴し、
いろいろの景観を呈する。六片に凍るため、六花(ろく
ばな)とも呼ばれるが、その形態は実にさまざまで、牡
丹雪(ぼたんゆき)・小米雪(こごめゆき)・粉雪・綿
雪などの名称がある。降雪の期や量は地方によつて大い
に違ひ、趣も亦非常な差がある。
雪空。大雪。深雪(みゆき)。小雪。吹雪。しずり雪。
ちらちら雪。雪明り。雪煙。朝の雪。夜の雪。暮雪(ぼ
せつ)。
「馬をさへながむる雪のあしたかな」 芭蕉
「住吉の雪にぬかづく遊女かな」 蕪村
「いくたびも雪の深さを尋ねけり」 子規
「我を迎ふ旧山河雪を装へり」 虚子

雪達磨(ゆきだるま)
古くは丈六佛などを雪で作つたが、今はだるまが多い。
木炭や炭團で目鼻をつけて遊ぶ。雪兎(ゆきうさぎ)
といふのは盆の上に雪で兎の形を作つたもので、南天
の実の目、熊笹の耳などがつけられる。
雪佛(ゆきぼとけ)。
「とる年もあなた任せぞ雪佛」 一茶
「雪だるま笑福亭の門前に」 素十
「解けそめて盆を滑りぬ雪兎」 天魚

氷(こほり)
寒の強弱に依つて、紙のやうな薄い氷もあり、スケート
の出来る厚氷(あつごほり)や、汽船の航路を閉塞する
氷海とさへなる。氷面鏡(ひもかがみ)といふのは氷面
が鏡のやうに見えるのをいふのである。
「瓶わるる夜の氷のねざめかな」 芭蕉
「濃く淡く木々影落とす氷面鏡」 友次郎
「馬叱る声氷上に在りにけり」 虚子

氷柱(つらら)
水滴の凍ったもの、小指にも足らぬ小さいのや、北
国では簷(のき)と大地を繋ぐ大氷柱もある。
垂氷(たるひ)。
「かくれ家に氷柱廻りて這入かな」 一茶
「垂れ下る氷柱の紐を結ばばや」 虚子

寒月(かんげつ)
転地凍てつくやうな空にかゝつた、見るから寒いや
うな月をいふのである。雲一つない時は冷徹そのも
ののやうに身魂に刀をあてる鋭さがあり、雲間を駛
る寒月には凄さがある。
「寒月や枯木の中の竹三竿」蕪村
「駕を出て寒月高し己が門」大祇
「海原や寒月駛る夜もすがら」海扇
「寒月に幻(げ)の影かゝりうせにけり」友次郎
「寒月の通天わたるひとりかな」茅舎
「寒月を網する如き枯枝かな」虚子
さて一句。
「青白き寒月は野に昇りけり」よっち

煮凝(にこごり)
魚鳥などを煮た汁が寒気のために凝り固まったもので
ある。鯛や鰤等煮て翌朝見ると鍋ながらにこごりとな
つて魚がとじられていることがしばしばある。煮凝は
特有の味を舌に残してとろりと溶けて了ふ。
凝鮒(こごりぶな)。
「煮凝や妻にねられて二三日」 放也
「煮凝や鼠はかかる桝落し」 虚子


寒鴉(かんがらす)
鴉は雀などの如く始終人の目につくものであるが冬
になると食餌の欠乏から人里近くに現れ、地上に下り
て食物を漁る。さうした鴉が寒中の荒涼たる天地の中に
点々として人に近づいて来ると人も又自ら之に親しみを
覚えるのである。寒風に吹きさらされて枯れ木の枝を得、
群れを為して島から渡り来ることもある。麦畑によく
群れる。
「寒鴉かくも集へる事のあり」 湖月
「かわかわと大きくゆるく寒鴉」 虚子

寒雀(かんすずめ)
雀は人家近く棲み最も我々に親しみの多いものであ
るが、冬に入ると食物が乏しくなり、ますます人家
の軒近くやつて来る。落葉しつくした木々の枝に膨
れてとまつてゐるのもいぢらしい。寒中の雀は美味
なのでよく捕へられる。
「庇より降りちらばりし寒雀」季発
「一つづつ下りくる庭の寒雀」千止
「寒雀枝うつりしてふくらみぬ」芳草
「大佛の膝に香呂に寒雀」静雲
「雨桶に大きな音や寒雀」立子
「倉庫の扉打ち開きあり寒雀」虚子
広辞苑から。
かん‐すずめ【寒雀】
寒中の雀。美味で薬になるという。季・冬
そこで一句。
「遊び来て餌ねだり鳴く寒雀」よっち

初観音(はつくわんおん)
一月一八日。観世音菩薩の最初の縁日である。この佛は
大慈大悲を以つて十方国土に身を現じ、他人がその名を
称する音声を観じて皆解脱せしむるとある。常に忍辱柔
和の相を持して、種々に形相を変ずるといはれている。
それで六観音・七観音・二十三観音などいふのがある。
浅草観音など夥しい信者をあつめて居る。

寒牡丹(かんぼたん)

厳冬に花を咲かせるために、藁などでかこつて培ふのである。
初瀬寺、染寺その他牡丹に名のある所に杖を曳けば、寒中の
牡丹の花に遇ふことが出来よう。寒牡丹といふ特別の種類が
あるのではない。
冬牡丹(ふゆぼたん)。
「ひうひうと風は空行冬牡丹」 鬼貫
「惨として驕らざるこの寒牡丹」 虚子

冬薔薇(ふゆさうび)
冬に咲く薔薇である。すがれた茎に一輪深紅の花を
つけているのを見れば、野茨や観賞用の春の薔薇と
は自ら異なった感じがある。
寒薔薇(かんばら)。冬ばら。
「大輪のあと蕾なし冬の薔薇」 みさ子
「強き刺もちて冬薔薇咲きにけり」 野風呂

寒菊(かんぎく)

寒菊は菊花の盛を過ぎた頃から蕾を上げ始めて、冬
期、小輪深黄或は深紅の花を開き、永く咲きつづけ
る。菊の原種の一変種である。葉が紅葉することも
あるし、雪中に花をつゞけ、雅致の深いものである。
「寒菊や粉糠のかゝる臼の端」芭蕉
「寒菊や愛すともなき垣根かな」蕪村
「寒菊に南天の実のこぼれけり」曉臺
「寒菊のそこら静な畑かな」射江
「寒菊やころがり侘びて石一つ」草城
「寒菊や年々同じ庭の隅」虚子
広辞苑から。
かん‐ぎく【寒菊】
アブラギクを改良した黄色い園芸品種。冬咲き。ほか
に、極晩性のキクで、冬まで開花を続けるものをもい
う。残菊。冬菊。季・冬。〈日葡〉
そこで一句。
「寒菊の鉢植え二つ日当たりに」よっち

水仙(すいせん)

菊のあとは花は少なくなる中に、厳寒にもめげずに咲
いてまことに気品の高い花である。一重と八重とがある。
「水仙の花のうしろの蕾かな」 立子
「水仙のはげしき雨に堪えてあり」 綾女

冬の草(ふゆのくさ)
元来冬草といへば枯れ果てた草、枯れ残つた草、冬
尚生育しつゝある草の総称であるべきだが、冬青々
としてゐるといふ感じが極めて強い。又さう解すべ
きであらう。冬草。
「冬艸やはしごかけ置岡の家」乙二
「冬草の踏まれながらに青きかな」俳小星
「花つけて冬の垣根の小草かな」杉花
「鎌倉や冬草青く松緑」虚子
広辞苑から。
ふゆ‐くさ【冬草】
冬、枯れずにある草。また、冬枯れした草。季・冬
そこで一句。
「冬の草窪みで風を避けにけり」よっち

冬苺(ふゆいちご)
夏白い花を開いて、冬実が熟する。野生の潅木状の
草木である。落葉など被って黄金色の実が葉毎に熟
れてゐるのは子供ならずとも嬉しいものである。
広辞苑から。
ふゆ‐いちご【冬苺】
バラ科キイチゴ属の常緑小低木。茎は蔓(ツル)状で全
草に褐色の毛が密生し、まばらにとげがある。葉は
円心臓形で浅く三〜五裂。六〜七月頃葉のつけ根に
白色の五弁花を開き、果実は球形で、冬紅く熟す。
カンイチゴ。季・冬
そこで一句。
「もう腹に入らぬと言い冬苺」よっち


麦の芽(むぎのめ)
十一月・十二月に蒔かれた麦は、間もなく土を割つ
て春の草のやうに鮮やかに青い芽を上げる。
「麦はえてよき隠家や畠村」芭蕉
「麦の芽に艪の音おこり遠ざかる」汀女
「麦の芽に汽車の煙のさはり消ゆ」汀女
「山の土麦の芽出でゝ畑となる」汀女
「麦の芽の線が遠くへあつまりぬ」素逝
「麦の芽の丘の起伏も美(う)まし国」虚子
そこで一句。
「麦の芽や大地に緑の色を添え」よっち

寒肥(かんごえ)
冬、草木に肥料をやるのをいふのである。肥は糠・
魚粕・豆粕・油滓・堆肥などで、これをよく土に吸
収せしめて置き、樹木が春活動を始める頃効くやう
にするのである。又施肥の際、値の周囲を掘るため
に切断された古根からは春に新根が蘇生して樹木の
勢を強める効果もある。
「寒肥や大地をすつて大杓子」無錫
「寒肥や館人病んで庭広し」宵曲
「寒肥をくらはしてゐる芽麦かな」蚊苦子
「寒肥を皆やりにけり梅櫻」虚子
広辞苑から。
かん‐ごえ【寒肥】
寒中、農作物・果樹・庭木などに施す肥料。かんご
やし。季・冬
そこで一句。
「単身や電話で頼む寒ごやし」よっち

大寒(だいかん)
小寒の後一五日目、大抵一月二十一日頃に当たり、
最も寒気凛冽(りんれつ)である。
「大寒の白々として京の町」 木犀
「大寒の埃の如く人死ぬる」 虚子

厳寒(げんかん)
酷寒である。水を落せばすぐ凍つてしまひ、水道は
凍てついて水が出ず、常盤木の葉も生色を失ふ。厳
冬は寒さの厳しい冬のことである。
「厳寒や桶もバケツも動かせばこそ」妙子
「厳寒や湯に水割りし洗面器」白牛
「厳寒や事と戦ふ身の力」たけし
広辞苑から。
げん‐かん【厳寒】
冬のきびしい寒さ。季・冬
そこで一句。
「厳寒に鼻水すすりおでんかな」よっち

早梅(そうばい)

冬至頃から咲き出す特殊な梅はもちろん早梅である
が、特に暖かな地方とか、南面した山懐とか、さう
いふ処にあつて、季節よりも早く吹き出でた梅をい
ふのである。
「梅つばき早咲きほめむ保美の里」 芭蕉
「早梅や御室の里の売屋敷」 蕪村
「神前の軒端の梅の早さかな」 虚子

蝋梅(らふばい)
蝋付き、葉に魁けて黄蝋に似た花をつける。欄香を
放つ。唐梅(からうめ)ともいふ。
「きりくるる蝋梅のもとにしたがへり」 菱歌


寒梅(かんばい)
寒中に花を発する梅。冬の梅(ふゆのうめ)。
寒紅梅(かんこうばい)。
「冬の梅きのふやちりぬ石の上」蕪村
「寒梅やほくちにうつる二三輪」蕪村
「とかくして散る日になりぬ冬のうめ」蕪村
「冬の梅咲く枝剪つてさしはさむ」温亭
「寒梅や青々として竹箒」凡平
「寒梅の固き蕾の賑しき」としを
「粉雪のちらつくもよし冬至梅」乙女
「冬梅の既に情を含みをり」虚子
広辞苑から。
かん‐ばい【寒梅】
寒中に咲く梅。

「寒梅や雪降りしきる空みをり」よっち

探梅(たんばい)

冬、早咲の梅を探ねて山野に出掛けるのをいふ。小
春の日南に青いしもとを上げ、青い萼をひらいて綻
びてゐる白梅の一輪を見出すなどはまことに風趣が
深い。探梅行(たんばいかう)。
「探梅や頓兵衛渡りうち渡り」たけし
「探梅のこゝろもとなき人数かな」夜半
「探梅や枝のさきなる梅の花」素十
「梅を探りて病める老尼に二三言」虚子
広辞苑から。
たん‐ばい【探梅】
(早咲きの)梅の花を探して見あるくこと。観梅。
季・冬
そこで一句。
「探梅や豊岡村に行止り」よっち


冬櫻(ふゆざくら)
冬開く櫻の一種である。六甲の麓、本山町岡本にある
冬櫻は十一月中旬頃から二月頃まで、霜や雪にめげず
に咲いている。高さ一間半くらい。花は彼岸櫻に似て
色は白く、香もなく、枝一面に咲き、丁度ゆすらうめ
のやうであるといふ。村人は寒櫻(かんざくら9と呼
んでいる。伊豆熱川にも五・六本の冬櫻があって、
一二月・一月頃白く咲いてはらはらと散っている。
春の櫻と違つて散る一方に盛りの花もあり、後々には
蕾が沢山ついている。花弁が少し痩せていぢけている。
「冬櫻ほとりに咲いて茶店かな」 たけし
「満開にして淋しさや寒櫻」 虚子

寒椿(かんつばき)
椿は春の花であるが、早咲は既に冬季寒中に咲くと
ころからこれを寒椿といひ冬椿と呼ぶのである。寒
椿といふ特別の種類があるのではない。日当りのよ
い藪表の山椿、八重の太神楽等は早く咲く。枯木の
常盤木の中に一点の紅を点ずるもの、凛としたとこ
ろがある。
「うつくしく交る中や冬椿」鬼貫
「冬椿乏しき花を落しけり」草城
「汲みとりて蓋する井戸や冬椿」澄水子
「下むきに咲きそる花や寒椿」立子
「うかゞへば尚一輪や冬椿」八郎
「雪かぶる日もありて咲く冬椿」虚子
広辞苑から。
かん‐つばき【寒椿】
@寒中に咲く椿。
Aツバキ科の常緑低木。中国原産といわれる。一一
〜一月頃に開花。サザンカに似る。季・冬
そこで一句。
「雪がきて積もる気配や寒椿」よっち


侘助(わびすけ)

冬から咲く椿であるが、一重の小輪で、花の数も
乏しく、どことなく侘しい感じの伴う花である。
古くから茶人などの好むところである。
「侘助や昨日は今日の昔なる」 漾人
「侘助や障子の内の話声」 虚子

室咲(むろざき)
冬、温室で咲かせた不時の花をいふ。梅・桃・櫻・
躑躅(つつじ)・木瓜(ぼけ)などから、百合・
欄・桜草など何れも室咲とすることが出来る。室
から、室のやうに暖かくした座敷に移されて、時
じくの花をつづけるのを眺めるのも、冬の無聊の
愉しみの一つである。
室の花(むろのはな)。室の梅(むろのうめ)。
「温室の花にするどき草芽かな」 夢塔
「温室や紫廣葉紅廣葉」 蒼苔

春待つ(はるまつ)
陰気な冬も終わりに近くなつて、華やかなのびのびと
した楽しい春の来るのを待つ心持ちをいふのである。
冬の終わりには冬を惜しむ情けはなくて春を待つ心
ばかりである。
待春(たいしゅん)。
「春を待つ舞子の茶屋や松の中」 躑躅
「押す花もなくて一壷の春を待つ」 二石
「時ものを解決するや春を待つ」 虚子

春隣(はるとなり)
梅や椿は蕾に紅を見せ、将に動かんとする大きな美
しい春が垣一重に隣り合せになつた、その季節なり
感じなりをいふのである。
春近し。
「山々の並び宜しや春隣」 耕雪
「春近し村の雑貨に羽根をみる」 フクスケ
「椿咲きその外春の遠からじ」 虚子

節分(せつぶん)
立春の前夜で、二月三・四日頃に当たる。民間ではこ
の夜悪魔を追ひ払い、新しい春を迎へるといふ心から
追儺(ついな)が行はれ、節分詣などする。
「節分をともし立てたり獨往」召波
「節分の髷のまゝなる二三日」句冠子
「節分の春日の巫女の花かざし」播水
「節分の高張立ちぬ大鳥居」石鼎
「節分や詣で終りし急ぎ足」野風呂
「節分や春日詣のかくし妻」眞佐子
広辞苑から。
せつ‐ぶん【節分】
(セチブンとも)
@季節の移り変る時、すなわち立春・立夏・立秋・立
冬の前日の称。
A特に立春の前日の称。この日の夕暮、柊(ヒイラギ)の
枝に鰯(イワシ)の頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆
と称して炒(イ)った大豆をまく習慣がある。季・冬。

追儺(ついな)
追儺は又はなやらひ・鬼やらひともいひ、毎年除夜、
宮中の儀式として行はれていたものである。今では
節分の夜、各社寺に於て追儺式が盛んに行はれてい
る。相州寒川神社では今も古式に倣つて行はれ、夜
灯を消し天のはじ弓(柳の弓)と天のかぐ矢(葦の
矢)を撒き、近郊近在から此の弓矢を授かりに群集
する。
「なやらひの呆助鬼の面やさし」 青桐
「葦の矢の弦をはなれて落つもあり」 王城

豆撒(まめまき)
節分の夜、神社・佛閣で追儺の豆撒きが行はれる。
年男が麻裃で神佛に供えられてある豆をまく。成田
不動は特に此の催しの著名な所である。民間各戸に
あつても当夜「福は内、鬼は外」と呼んで豆撒をす
る。年の豆。
「年かくすやりてが豆を奪いけり」几菫
「豆もうち柊もさし孀かな」
「年の豆我盃中に落ちにけり」虚吼
「福の豆桝にこぼるるばかりかな」王城
「吉田屋の疊にふみぬ年の豆」虚子
広辞苑から。
まめ‐まき【豆蒔き・豆撒き】
@豆の種を畑にまくこと。
A節分の追儺(ツイナ)に、「福は内、鬼は外」と唱えなが
ら豆を撒くこと。また、その役。まめうち。季・冬


厄落(やくおとし)
男の四十二歳、女の三十三歳の大厄をはじめその他
の厄年に当つた者が災難をのがれるために、節分の
夜に厄落しの禁厭をする。方法は地方によって違ふ
が最も広く行われているのはふぐりおとしである。
氏神様へ参詣して人に見つからぬ様に褌を落してく
るので、これで厄を落した事になるのである。また
割薪に何の年の男とか女とか自分の年齢干支を書い
てそれをどんどに上げる事や、火吹竹の降るいのを
暗闇の戸外に投げること等も行われてゐる。
「先生も人のすゝめや厄おとし」召波
「厄落し早もして来し男かな」月尚
「乞食や厄拾ひ行く手いつぱい」茅舎
「岡寺へ厄を落しに行くと云ふ」晴城
「厄落す遠くに神の灯が一つ」王城
広辞苑から。
やく‐おとし【厄落し】
@厄難をはらい落すため、神仏に参ったり金銭をそっ
と捨てたりすること。やくはらい。永代蔵五「さる大
名の御―の金子四百三十両」。「―に参拝する」
A厄年の前年の節分の日に、自分の衣服・器物を街路
・山野などに捨てること。季・冬
そこで一句。
「月岡の温泉参りや厄落し」よっち





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