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この資料は、俳句倶楽部でいただいた資料を転記しています。
参考にしていただけたら幸いです

内容は

俳句の魅力について
約束事(2枚の切符)
初心者に一と言
俳句の作り方







俳句の魅力について

 あなたのこころを、たましいを、世界で最も短いといわれる一行十七音字の詩のかたちに置き換える。その時に、日本語の中の宝石といわれる「季語」を、あなたの感性でひとつ選び出し、一行の中で最も美しくふさわしい位置にちりばめる。
 これが俳句です。
 これはだれにでもできることです。
 なぜなら季節の美しさは、だれのうえにもまったく平等に流れており、その季節の恵みの中で、自分のこころを、もうひとりの自分がこころをこめて眺めてみる。これだけの時間ももっていないという人はいないからです。
 俳句は短いのです。五・七・五、たった一行十七音字の世界は、世界最短の詩型といわれています。けれども、この短さが、日本人の呼吸と生活のリズムに合っていること、このことに、私は実作者として日々新鮮な驚きを重ねています。
 私たちのこころとからだに最も適う詩型、それを自己表現の場、手段にできるという充実感が俳句づくりのつきない魅力の源泉だと思うのです。
 俳句をつくり始めますと、見えるもの、聞こえるもの、匂うものなど、この世で出合うすべてのものに好奇心がわいてきます。つまり興味と関心が旺盛になってきます。
 そして、年齢に関係なく、どなたもあと十年早く俳句を始めていたら・・‥・・と口惜しがられます。そうしてますます俳句に打ちこんでいきます。季節と生活とにていねいにつきあうようになります。こうして俳句をつくり続けていますと、生活が生き生きしてきます。
 俳句のたのしさが生きていく歓びにもつながってくるようです。
 俳句のある生活、その入り口は誰の前にも平等に開かれています。男女、年齢、 職業、学歴・・・・そういうものによって差別されるということがまったくないのが俳句です。
 あなた自身の人生を、あなたの感性で、あなたの言葉で表現する、これがあなたの俳句です。
 たった一行にこめられたこころのかたち。たましいのかたち。シンプルでぜい肉をそぎ落としたことばの輝き。季節と共に年齢を重ね、しなやかに生きるあなたの軌跡。
 一日一句、日記をつけるつもりで、焦らず素直に真剣に、あなたの俳句づくりをスタートさせましょう。                    

                  「あなたの俳句づくり」
                   黒田 杏子 著   より抜粋





約束事(2枚の切符)

1 季語(季題)→ 歳時記参照
2 定型   → 5:7:5 の17音

上達の方法
「自然の植物などを見て感じたことを詠むようにして下さい。客観的に写生をするのが俳句を愉しいものにします。」
「自分の主観よりも、物事を客観的に写生する気持ちで詠むと上達が早いと思います。」
「最初の頃は、主観的な句より、周囲の景色、季題を客観的に見て写生する気持ちで詠む様に努力してみて下さい。」
「自分の思いだけを言葉にしてしまうが、我慢して、それを消して書いていくことから俳句が始まる。」





初心者に一言

はじめに

  俳句の約束 文章を綴ったり詩を書いたりするのに、建築や裁縫の寸法を図解するような方法があるわけではありません。だからここで俳句の作り方などとふれ出しても、所詮は実作者にむかって、あれこれ経験談を話して、当面ご勉強の多少の参考に供するという程度以上のことはできません。
 ただ俳句は様式文学でありまして、形式上の約束の上に立っておりますので、俳句に踏み出す第一歩において、その約束とは何であるかは教わらねばならず、厳しく守られなければなりません。その約束を無視したものは、立派な"詩"ではあり得ても"俳句"ではありません。約束は二件ありますが、俳句とはその約束を守った詩の上にあとから与えた名称に過ぎないというのが、伝統俳句の建て前であります。
 約束の二件の一つは、五・七・五、十七音という形式であり、他の二つは季題(季語)という条件であることは、今更申すまでもありますまい。
 まず十七音のことでありますが、五音、七音の区切り方、五・七・五と重ねるリズムと日本語との深い繋がりについては、それぞれ専門学者の研究もありますが、これこそ日本詩歌・日本的韻律の基調といってよいでありましょう。もちろん例外の名吟もありますが、例外はあくまで例外で、そのために原則をないがしろにすることは許されません。
 つぎに季題のことでありますが、季題とは、日本という島国の自然と、その自然と一体となって生きている日本人の生活の上に現れる事々物々のうち、詩趣に適うものを選んで来た大小いろいろの材料であります。自然を愛する日本人は、ついにこの詩材にことよせて自分の感情をのべるという独特の詩態様を創りあげてしまった、それが俳句なのであります。無季俳句というものは、その名称がすでに自家撞着だと申さねばなりません。俳句に何故季題が必要かという議論も出つくした感がありますが、初学者はそんな研究を暫く後日に残して、季題は入門に必要な二枚の切符の一枚だと思わねばなりません。季題は歳時記という書物に網羅されております。     

 歳時記はいろいろのものが出ていますが、その中で好むものを選んで座右に備えること が、俳句を勉強しょうという以上、最小限度必要な準備であります。尤も、歳時記と一口にいいましても編者の見識によって季題の取捨選択に多少の差はあり、又、時代の移り変りとともに、慎重な用意の下に改訂されるべき性質のものでありますから、簡単にある事物を捉えて、「歳時記」にあるとかないとかいいきる訳にはゆかぬわけであります。
  まず第一歩を 以上、十七音数と季題という約束の二条件を納得し、歳時記一冊備えたら、楽しい俳句の旅の仕度だけは整ったわけであります。仕度が整ったら躊躇なく、すぐに第一歩を踏み出すことです。正岡子規は『俳諧大要』という書物の中で、俳句の修業の第一期即ち初の心得として、大体こんなことをいっています ―――― 人に見せるのを恥ずかしがってはいけない。作ろうと思い立った瞬間に一句でも半句でもかきとめておけ。言語、文法、切字、仮名遣いなどは知るに越したことはないが、後でだんだんに覚えることにして構わない――――大体こういった説き方でありまして、さすがに初心者にとって一つ一つまことに適切な教訓だと思います。
 こんなふうに説かれますと、誰でもひとつ自分も俳句をやってみるかという気になるでしょう.高浜虚子先生の『俳句の作りやう』という小冊子の冒頭も"どうでもいいから兎に角十七字を並べて御覧なさい"といった言葉で始まっております。
  俳句に志す人からよくこんな愚痴をききます・・・自分は学問がなく言葉を多く知らないから、始めても上達の見込がない・・・なるほど学問はあるに越したことはなく、語彙が豊富だということはその人の強みには相違ありませんがそんなことは後日の勉強にまてばいいと子規も虚子も説法しているわけです。一ばんいけないことは、そんな差し当り余計な思い過しのために、まず第一歩を踏み出してみることがいつまでも出来ずに居るということであります。なまじい学殖が邪魔になって作品に詩の潤いを欠くとか、文字を知り過ぎて文字の囚になっていたなどという例も考えられるくらいです。
  切字というもの 子規はまた前に引きました書物の中で、初学の段階では、切字など「無きものと心得て可なり。併し知りたき人は漸次に知り置くべし」といい切っております。切字の代表的なものは"や""かな"であり"や・かな"といえば"俳句"と同義語に通用するくらい大切なものの筈なのに、これはまたどういう教えかと、初学者は惑うかも知れません。しかし、これは子規が初学者に向って説法する場合に、切字という形式に拘泥して、あるいはそういう形式を過重視して、そのため肝心なものがいつか二の次になることを厳戒するために、わざと強い言い方をしたものであります。
 ここで切字論をする暇はありませんが、そもそも切字は俳句という最短詩形が可能の極限まで文字を切り詰め、一語一字に深い叙情・複雑な意味を託しようとする結果必然的に生れたものであり、俳句的表現の上で重要な役目を負うものであることを、修業ももう第二期に這入りますと十分にわきまえねばなりません。
 切字尊重と関連して、二段切は反則、という説法を聞かされることがありましょう.一句のうちに切字の重なることは、一本真直に通った一句の姿かたちをこわすことになるので、原則として避くべきであることはいうまでもありませんが、大切なことはそういう形式だけで速断せずに、個々の作品について、それぞれの場合二段に切ることの可否を決すべきだという点であります。                                                                                                  句の姿と心
 わたしはさきに、作品の形式に拘泥して肝心のものが忘られてはならぬと申しました。肝心のものを、仮に句の心とでも申しましょうか。″形式″に対立するものは″内容″中味であります。昔から句の姿かたち"形式かと、句の心″内容″とが併称されておりますが、これは芸術作品のすべてに通ずることでありましょう。作品の批評の場合、外の形と内の心とを対比して、形よりも心と評価されることもままあるようですが、それは多分相手を見ていっている場合が多いでしょう。
 俳句という様式の文学は形をぎりぎりのところまで切り詰めて磨きあげた結晶体のような姿かたちのものでありまして、形の上ではこの上もう手の加えようはありません。内容も亦これに適うものでなければなりません。姿と心と渾然一体でなければならぬこと、俳句のような例は他の文学にはないと思います。
 一方で十七字型の俳句の姿が作者の芸の腕前をもって最高のものに磨きあげられねばならぬとともに、他方で俳句の心も無限の深さに掘り下げて行かれねばならぬのであります。 俳句の心とは何か.俳句の心とはこれこれと一言で解説することはむつかしいでありましょう。形容的に強いていって見ますれば、日本という特殊の風土に培われた日本人固有の心情が、文学の面で俳句という固有の詩に凝結したといえようかと、私は考えています。
 日本という特殊の″風土″という言葉は、日本という島国の″自然″といいかえてもよろしい。誰もいう通り日本人は外国人と違った独特の自然観を皆本具しております。そこから自然を賛美し季題を必須条件とする俳句という他国に例のない固有の文学が生れ、育って来たわけであります。 極限しますれば、俳句を身につけたいと思うか、あるいは俳句がもっと上達したいと願うならば、俳句の作り方などという講釈を百万弁きくよりも、根源に遡ってもっと母なる自然に親しむことをせよ、山川草木禽獣虫魚に対してもっともっと濃かな愛情をもて、といいたいのです。すべての日本人の心の奥にかくれている筈の"俳句の心"の芽を大切に培うことがまず先決だというわけであります。








俳句の作り方

1 俳句の約束事 (有季・定型)  
(1)五・七・五の定型を守る
    ・同じ条件の中で、それぞれの感性をいかに表現するか・・・楽しさ  
(2)季語をひとつ使う
    ・先人が磨き続けた言葉の粋・・・季語(季節を現す言葉)
2 作句にあたって必要なもの  
(1)歳時記(季語がのっている)  
(2)紙(ノート)、鉛筆
3 句会の要領  
(1)短冊に各由由分の句を記入し、提出(短冊は各自準備)
     (一枚に一句で定められた数  無記名)  
(2)バラバラにして分担して清書(回覧用) (誤字脱字に注意)     
     その際、用紙の右上に番号をふる(番号は時計回り)  
(3)回覧用紙を反時計周りにまわし、自分で気に入った句をメモしておく  
(4)最終的に、決められた句数を選び提出(自分の句は除く)
その中で一番良いと思った句に「○」印をつける
     その際、右端に選者名(自分の俳号または名前)を記入  
(5)幹事が「○○選」として読み上げていく(披講)
     自分の句が読み上げられた場合、「俳号または名前」を名乗る     ・・・・・・互選  
(6)その日の句をお互いに批評し合う(合評)  
(7)先生がいる場合;     先生の選句の披講及び講評がある
(8)その他; 幹事は一人3枚の紙を事前に配布
     (メモ用、回覧用、選んだ句の提出用)
4 用語、
 ・題詠;題(季語)を出して、その題について作品をつくること    
   ・兼題(けんだい);句会の為に前もって示されている季題     
   ・席題(せきだい);句会の席で示される季題  
 ・雑詠;自由題    
   ・当季雑詠;その季節の季題なら何でも自由    
   ・嘱目(しょくもく);句会場にきて、その場所から見えるものを一句にまとめる

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