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愛について
最近結婚式に出る機会が多くなりました。 大概、結婚式場に教会が併設してあり、そこで牧師さんが式を進めます。 その折に、聖書の言葉を話します。 以下の通りです。 愛は寛容であり、愛は親切です。 また、人をねたみません。 愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、 怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばすに真理を喜びます。 すべてを我慢し、すべてを信じ、 すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して、絶えることがありません。 愛について言葉ですが、私達日本人が描いている愛とは違うようです。 従ってちょっと理解できないところがところどころありました。 今日の朝、テレビを見ていたらヒントがありました。 自分なりの解釈を書いてみようと思います。 江戸時代に布教のためにきた海外からの神父さんは、愛という言葉には愛欲とか男女間の愛とかのイメージが強く、誤解を与える恐れから、代りに「お大切」という言葉をつかったそうです。 手紙の終わりに、現在でも御大事にとか御大切にとか使いっています。 広辞苑から愛の意味を調べると @親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。万五「―は子に過ぎたりといふこと無し」。「人類―」 A男女間の愛情。恋愛。 Bかわいがること。めでること。大切にすること。伽、七草草子「己より幼きをばいとほしみ、―をなし」。醒睡笑「慈照院殿、―に思し召さるる壺あり」 C愛敬(アイキヨウ)。愛想(アイソ)。二代男「まねけばうなづく、笑へば―をなし」 Dこのむこと。「―好」「―唱」 Eおしむこと。「―惜」「割―」 F〔仏〕愛欲。愛着(アイジヤク)。渇愛。強い欲望。十二因縁では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的にみられる。今昔二「その形、端正なるを見て、忽ちに―の心をおこして妻(メ)とせんと思ひて」 Gキリスト教で、神が、自らを犠牲にして、人間をあまねく限りなくいつくしむこと。 つまりキリスト教でいう愛の意味は いつくしみ合う心、思いやり、めでる心、大切にすることなどの意味です。 孔子のいう仁愛、仏教での慈悲なんかがちかいのでしょうね。 では、なぜ愛は、寛容で、親切で、ねたまず、自慢せず、高慢にならず、礼儀に反することをせず、利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばす、真理を喜び、すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍び、絶えることがないのでしょうか。 つまり、愛は自分自信をこの世に一人だけのこの上の無い大切なものという思いから発し、大切な自分という自覚から、他の人も大切という一緒意識にあると思います。 光り輝く魂を、一人一人がもっているという認識から、人のことを自分のことのように思う、思いやり、大切にする心が愛だと思います。 こう考えると、寛容からすべてを耐え忍びまでは理解できると思います。 最後の絶えることがないとは、愛があれば、エネルギーが枯れることなく生き生きとするという意味と捉えます。これは、愛という宇宙意識に合致した心には、宇宙から生命のエネルギーが枯れることなく、燦燦と注ぎ込むという意味に捉えましたがいかがでしょうか。 今日は、少し高尚になりました。 たまには、今日は日曜ですし、 いいですよね。 |