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神@神Aゆっくり予備予備|孫子|

孫子の兵法
「孫子の研究」岡村誠之著 「孫子」金谷治著 参照
 兵書孫子は今からおよそ二千五百年前の昔、周末春秋時代の呉王闔廬に仕えた兵法家孫武によって書かれ、それから百年の後、孫武の後裔である孫ピンによって完成されたものである。孫ピンも孫武に劣らぬ優れた兵法家であって、軍師として斉の威王に仕え、かずかずのめざましい武功をたてた。兵書孫子は今日まで二千余年の間に、中国でも日本でも数え切れぬほど多数の祖述者と研究者を出し、その際ずいぶん改ざんされ変歪されたあとが見られるけれども、その根本的な考え方においては変わらない。
 その特質は、山鹿素行が「孫氏諺義」のはじめに述べた言葉に最も性格に言い表されていると思う。

「孫子はあくまで道を尚び、我を正し我を強くすることを以って根本とするけれども、争戦の法として権変(ごんぺん)を論ずるとなると、融通無碍、闊達自在、周到懇切で間然する処がない。これこそこれこそ兵書の中の白眉であり典型である。呉子の兵法を見ると、礼儀を尚び教訓を明らかにしているが、肝心の機変を説くことが不十分である。仁義の道や聖人の徳については、古来の聖賢達が述べつくしてくれているのであって、自分は呉子のような兵法家から聖賢の道を習おうとは思わない」
  まことに孫子の真髄は、融通無碍、闊達自在の動的な知性と、周到精緻な思想法にあるのである。あくまでも素直に現実に随順しながら総合的に考え、創造的精神にみちていry処にあるのである。これらの点で、意図口に「孫呉の兵法」といって並称される呉子や、西洋兵学の最高峰とされているクラウゼウイッツを遥かに引き離しているのである。
     − 岡村誠之 −

孫子の体系
1 始計篇 兵法の根本
総論、原論
 大綱

  ↓

  ↓

  ↓

細部の行動

  ↓

  ↓
2 作戦篇
3 謀攻篇
「野戦」と「攻城戦」における基本原則
4 軍形篇
5 兵勢篇
6 虚実篇
己を知り、己を治めること
7 軍争篇
8 九変篇
9 行軍篇
敵を知り敵をはかること
10 地形篇
11 九地篇
地形(戦術的見地、戦略的見地)
12 火攻篇 当時の特殊戦法
13 用間篇 始計篇の根本原理と照応
敵を知ることの重要性

1 始計篇

 「始めに計る」即ち戦争する前につまびらかに計り考えるということ。「始」は終わりまで含む意であるから、始めに始中終を考えるということである。
 「計」には、「謀」のほかに敵味方をくらべる意がある。

※全巻の緒論と同時に、全巻を統べる原理
※孫子の兵法は「経」「計」「権」
「経」
織物のたていと。転じて、すじ道。不変なもの。物事のすじ道。道理。
ここで経というのは、自然人生の間にある不変の法則であり、真理であり、真実である。
「計」
謀とともにハカルと訓み、計画、計略のように使い彼我の様を詳らかに合わせ考えるというのが本義。
「権」
竿秤の分銅である。分銅は量られる物の重さに応じて位置を変えるところから、権は変化にともなって変化し、宜しきを制するという意味となった。正は基本であり権は応用である。その意味で権は奇と同義である。
1-1
孫子曰、兵者、國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也。
1-1
孫子曰わく、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。
1-1
戦争は国家安危の一大事である。それは大切な人命をやりとりするものであり、一国存亡の岐路であるから、決して軽はずみに行うべきでなく、深く考えてから始めねばならない.。
1-2
故經之以五事、校之以計、而索其情。
一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法。
道者、令民與上同意、可與之死、可與之生、而不畏危也。
天者、陰陽・寒暑・時制也。
地者、遠近・險易・廣狹・死生也。
將者、智・信・仁・勇・嚴也。
法者、曲制・官道・主用也。
凡此五者、將莫不聞、知之者勝、不知者不勝。
1-2
故にこれを経[はか]るに五事を以てし、これを校[くら]ぶるに計を以てして、其の情を索[もと]む。
一に曰わく道、二に曰わく天、三に曰わく地、四に曰わく将、五に曰わく法なり。
道は、民をして上と意を同じくし、これと死すべく、これと生くべくして、危うきを畏
(おそ)れざらしむるなり。
天は、陰陽・寒暑・時制なり。
地は、遠近・険易・広狭・死生なり。
将は、智・信・仁・勇・厳なり。
法は、曲制・官道・主用なり。
凡そ此の五者は、将は聞かざることなきも、これを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
1-2
故に、次に述べる五つの事柄を根本としてよく考え、それに基づいて敵味方の諸要素を比較考究して、その実情をさぐりもとめて勝敗の算を検討せねばならない。
※「経」はハカルと読むが、「計」や「謀」よりずつと意味が深い。ハカルであるから理知作用であるが、その極致である。それ故にツネとよみノリと読む。古今東西に亙って変わらぬものであるから、、人々がそれに従うべき法則であり、則るべき真理だと言われる。
※「情」は情偽の情でマコトである。実情、真実の意である。
※「索」は手さぐりもとめることで、まだ戦っておらぬが五事七計の総合的考察によって、身長に彼我の総合戦力の真相と勝敗の算をうかがうのである。
五事のその一は道、二は天、三は地、四は将、五は法である。
道とは、人民を君主と同じような気持ちにさせ、危険をおそれず君主と生死を共にするようにさせるものである。
※「同」:力の根源としての人身の「和」
※「道」=「仁」、「厳」、「術」
      「仁」:愛
      「術」:権力
      「術」:統御の術策
天とは、陰陽、寒暑、時制である。
※「陰陽」:陰陽哲学で卜占や迷信でない。
※「寒暑」:春夏秋冬、日夜朝暮、風雨雪の総称
※「時制」:天の時を制すること。その時を選びこれを利用することである。
地とは、距離の遠近、地勢の険阻、地域の広さ、地形の有利不利などの、地形、空間的条件である。
※作戦線の長短によって作戦の規模、人馬の違いがあり、険形は守るによく、易形は攻めるによく、広形は大兵を、狭形は少勢を動かすによく、死地(我に不利な地)には戦いを避け生地(我に有利な地)は我先にとると言うのであるが、又これをw応用して地形の価値を変えるという意をも含んでいる。
将とは、智謀、信義、仁慈、勇気、威厳などの将の能力である。
※智を含まぬ仁は真の仁でなく、仁に反した智は正智でない。智勇厳などは仁の中の「部分」である。
法とは、編成、職責分担、物資などの組織管理に関する事である。
※「曲制」の曲は衆人を区分する法、制は衆人を使う法である。つまり編制制度である。
※「官道」の官は士卒の長、道は諸官の服務規律である。
※「主用」はあづかりつかさどるで、人馬兵器糧食軍備等の取扱、事務、収支、補給をいう。
これら五つは、将なら他から聞かずとも漠然と頭のなかにある事柄である、よく心得ている者は成功し、理解が浅い者は失敗する。
1-3
故校之以計、而索其情。曰、主孰有道、將孰有能、天地孰得、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明、吾以此知勝負矣。
1-3
故に、これを校ぶるにするに計を以てして、其の情を索む。
曰わく、主孰(いず)れか賢なる、将孰れか能なる、天地 孰れか得たる、法令 孰れか行なわる、兵衆 孰れか強き、士卒 孰れか練[なら]いたる、賞罰 孰れか明らかなると。
吾、これを以て勝負を知る。
1-3
だからこの五事を基にして敵味方をくらべはかり、その戦力の実情を求め知るのだ。
※五事には一二三四五と順序に従って番号をつけてあるのに反して「計」の方は七つを並べただけである。計は七計に限らぬのである。
どちらの国王がよく道を行って民をなつけているか。
どちらの将軍に才能があるか。
いづれの側が天の時、地の利を得ているか。
どちらの方が、編制制度整い遵法的に国と軍が運営されているか。
武器、軍夫はいづれが強いか。
将兵はいづれが強いか。
賞罰はいづれの方が公明であるか。
この七計で彼我勝敗の算が知れる。
※七計
主孰有道
將孰有能
天地孰得
法令孰行
兵衆孰強
士卒孰練
賞罰孰明
1-4
將聽吾計、用之必勝、留之。將不聽吾計、用之必敗、去之。
1-4
将 吾が計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ、これを留めん。将 吾が計を聴かざるときは、これを用うれば、必ず敗る、これを去らん。
1-4
主将が若し私のこの五事七計を聴き入れて、それに従い戦争をおこすと必ず勝つだろう。私はそういう主将の処には止まって尽力するが、之を聞き入れねば戦いをやっても負けるにきまっているから、そんな人の処には留まらず去ってゆきます。
1-5
計利以聽、乃爲之勢、以佐其外。勢者、因利而制權也。
1-5
計って利あらば以って聴(ゆる)せ。即ち之が勢を為して、外を佐(たす)けよ。
1-5
以上の如く詳らかに計って我に利あらば兵を用いて戦え。その時は「兵の勢」を作って戦力のたすけとせよ。
※前文までは「内に計った」のであるが、それを補うために之から戦力を「外に発揮する」原理を始計篇の後段として説くのである。即ち前段は廟堂における合理的打算であり、後段は戦場における権道としての応用である。孫子の思想法と表現は、どこをよんでも正権、主副、表裏が並べられてあるのが抜かりのない特徴である。
1-6
兵者、詭道也。
故能而示之不能、
用而示之不用、
近而示之遠、
遠而示之近。
利而誘之、
亂而取之、
實而備之、
強而避之、
怒而撓之、
卑而驕之、
佚而勞之、
親而離之。
攻其無備、
出其不意。
此兵家之勝、不可先傳也。
1-6
兵は詭道なり。
故に、能なるもこれに不能を示し、
用なるもこれに不用を示し、
近くともこれに遠きを示し、
遠くともこれに近きを示す。
利にしてこれを誘う、
乱にしてこれを取る、
実にしてこれに備え、
強にしてこれを避け、
怒にしてこれを撓[みだ]し、
卑うしてこれを驕らしめ、
佚すればこれを労し、
親しまがこれを離し、
其の無備を攻め、
その不意に出ず。
此れ兵家の勝にして、先きには伝うべからざるなり。

1-6
戦争は詭道である。
※「詭」とはイツワリだけの意に解するのは正訳でない。詭にはタガウ、またアヤウシの意がある。タガウと訓めば、「戦いは錯誤の連続なり」という戦争の実相を示し、アヤウシと訓めば、木村名人の「必勝の態勢が出来た時に敗がひそんでいる」といいまた「勝敗は紙一重」をいう如く戦いの不安定性を示す。山鹿素行は、「詭は権なり、勢なり、奇なり」と言った。「蓋然性」という概念で固定するよりも、詭の一語が戦いの実相と之に処する呼吸を的確に示すのである。
正道そのままを主張しても、そのまま直ちに受け付けないときに、それに至る手段また階梯として使うのが権道であり、術策であり、詭道である。それ故にまた詭道には制約があるのである。
我はある行動が可能であるのに宛(あたか)も不可能であるかの如く敵に見せかけ、
またある計略を使っているて宛も使っていないように見せかけ(この二つの裏の手をも考える)、
近きを撃つのに遠きを撃つが如く、また遠きを撃つのに近きを撃つが如く見せかける。
※企図の秘匿と欺瞞によって敵の認識と判断を倒錯し、その結果敵に虚を作らせ時を徒労させるのである。
利を与えて敵をひきだし欺き討つ、
※この場合の利は小利であってその裏にはわが獲得すべき大利とそれを獲得しうる確算がひそんでいなければならない。

敵側陣営内に内訌混乱を起こさせて之を討ちとる、
敵の力が充実している時はわが備えを堅くして守り、彼の虚を出来るのを以って討ち取るべく、
彼の兵勢強ければ之にあたらずその勢の退くのを待って攻撃せよ、
怒らして之を乱し、
へり下って彼を敬い彼に心に驕りを起こさせよ。彼若し卑しんで来たら益々へりくだって彼のおごりをたかめよ、
敵の戦力が充実している時は、種々の術策を持って之を疲れさせる、
敵陣営内における上下左右の人の和、また敵国とその友邦との間を割く、
その備えなきを攻め、その不意を突く。
以上の詭権の道は、兵家が之を戦場に用いて変に応じ勝をとる道であるが、この詭道は正道より先に伝えてはいけない。根本はあくまで五事七計であつて、先ずそれを整えてから勢権を用うべきである。
※人の心はとかく奇を好み、平凡な正法を迂んじて権道にひかれ、人目を聳動させる事に興味を持ちやすい。また着実な努力を厭つて奏功を焦り易い。
が奇は正の一部分である。根本は枝葉に先んじ、基本は応用に先んじ、基本は応用に先んじ、定石は権変に先んじなければならない。孫子はここで改めて正奇の本末を明らかにしてその順を正すのである。
1-7
夫未戰而廟算勝者、得算多也。未戰而廟算不勝者、得算少也。多算勝、少算不勝、而況於無算乎。吾以此觀之、勝負見矣。
1-7
夫れ未だ戦わずして廟算[びょうさん]して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るを況や算なきに於いてをや。吾れ此れを以てこれを観るに、勝負見[あら]わる。
1-7
開戦前の廟議において、綿密周到に検討して公議をつくした方が勝利を得られるが、大雑把な検討で意見を少なくすませると勝ち得ない。まして検討せずに開戦する様ではお話にならない」
※例え、いかに戦場の応用権変の術に長じていても、戦争計画の大本に不備と狂いがあれば取り返しがつかないということを最後に念をいれたのである。
また一方から云えば、政略上の過失は戦略を以って救うに難く、戦略上の過失は戦術を以って救い難いということにもなるのである。

2 作戦篇
作戦:オペレーションの意味でなく、「戦いをおこす」の意。
    「戦」は野戦、機動戦を指す。
    この篇は「戦争指導の大綱」と解してもよい。
2-1
孫子曰、凡用兵之法、馳車千駟、革車千乘、帶甲十萬。千里饋糧、則内外之費、賓客之用、膠漆之材、車甲之奉、日費千金、然後十萬之師舉矣。
2-1
孫子曰わく、凡そ兵を用いるの法、
馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、
千里にして糧を饋[おく]れば、
則ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、
日に千金を費やして、然る後に十万の師挙ぐ。
2-1
戦争は大変な物いり金いりだということを、十万の軍を動員して作戦させた場合を例にとって示し、だから将たらん者は兵を用いるのに慎むべきであるという意を含ませて説いたのである。
※馳車:当時の木製の軽戦車で、四頭牽きであるから駟という。
 革車:革張りの重車で、軍需品を積載する輜重車。
 帶甲:甲を着る兵士。甲は冑(カブト)の意。
 千里:日本の百五十里から百六十里
 来客の用:当時は交戦兵力が少ない反面、政略謀略宣伝諜報活動が盛んであつたから、遊説家や中立国の使節、諜者などに使う機密費が戦費の中で大きな比重を占めていた。
 膠漆:弓矢その他の兵器を作る材料。
 車甲:戦車輜重車と甲冑。
2-2
其用戰也、勝久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈。
久暴師則國用不足。
夫鈍兵挫鋭、屈力殫貨、則諸侯乘其弊而起、雖有智者、不能善其後矣。
故兵聞拙速、未覩巧之久也。
夫兵久而國利者、未之有也。
故不盡知用兵之害者、則不能盡知用兵之利也。
2-2
其の戦いを用うる、勝つも久しければ兵を鈍[つか]らし、鋭を挫き、城を攻むれば力屈す。
久しく師を暴[さら]さば則ち国用足らず。
夫れ兵を鈍らせ鋭を挫き、力を屈し貨を殫[つ]くす時は、則ち諸侯其の弊に乗じて起ち、智者ありと雖も、その後を善くする能はず。
故に兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久を睹[み]ざるなり。
夫れ兵久しくして国の利する者は、未だこれ有らざるなり。
故に尽く用兵の害を知らざる者ば、則ち尽く用兵の利をも知ること能わざるなり。
2-2
戦争を長引かせると軍も素質が低下するし、国家財政も窮乏する.。
交戦久しきに亘り、軍の戦力低下し、国家財政窮乏して来ると中立国が弱みにつけ込んで来て処置に困るようになる。
戦争において方策が拙くとも迅速にやつて成功したのを聞くが、
巧妙な方策でぐずくずして居て成功したのを見ない。
※「兵ハ拙速ヲ尚ブ」ではない。孫子は決してそういう硬直なことを言っていない。拙速と巧遅とを二者択一的に対立させるのであるが、拙遅もあり、巧速もあることを忘れてはならない。
重ねて長期戦の失を述べている。
利と害と、損と得と、それらは表裏として離れぬものであるから、利用を全うしようとすればその害を十分に知悉せねばならない。知者は利害交々謀るけれども、愚者はわが利あることばかり考えて害を考えぬから失敗する。
2-3
善用兵者、役不再籍、糧不三載。
取用於國、因糧於敵、故軍食可足也。
國之貧於師者遠輸、遠輸則百姓貧、近師者貴賣、貴賣則百姓財竭。
財竭則急於丘役。
力屈財殫、中原内虚於家、百姓之費、十去其七。
公家之費、破車罷馬、甲冑矢弓、戟楯矛櫓、丘牛大車、十去其六。
故智將務食於敵、食敵一鍾、當吾二十鍾、キカン一石、當我二十石。
2-3
善く兵を用うる者は、役は再び籍[しる]さず、糧は三たびは載せず。
用を国に取り、糧を敵に因る、故に軍食足るべきなり。
国の師に貧しきは、遠く輸[いた]さばなり、遠く輸さば百姓貧し、師に近き者は貴(たか)く売る、貴く売らば百姓財竭(つき)る。
財竭くれば則ち以て丘役に急なり。
力屈し財竭き、中原の内家に虚ならば、百姓の費十に七を去る。
公家の費、車を破り馬を罷(つか)らし、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車十にしてその六を去る。
故に智将は敵に食することを務む、敵の一鍾を食えば吾が二十鍾に当たる、キ[艸己心]カン[禾干]一石は吾が二十石に当たる。


2-3
一戦争間に同じ人を二度動員することはない。外征軍に対して糧秣輸送を三度までせぬ中に終戦を迎える様にする。
※役:課役
 籍:課役されたものの到着を記すこと。
 三載:外征軍は始めに糧食を持って出かけ、そのあとより送り、後また糧を迎えた。これを随糧、継糧、迎糧という。
軍用即ち、兵器器械類は自国産によるが、糧食は敵地のもので間に合せて軍食を足らせる。
外征軍と起すと遠く作戦地へ軍需品を輸送せねばならないので、その費用が大変で人民が貧しくなる。軍の近くでは需給の関係で物価が高騰し軍費がかさむので国内の人民は益々困窮する。
民の財が竭きると定められた課税も出しにくくなる。
士卒の気力衰え、国内の民家はその家業が虚しくなれば、百姓の費は大部分なくなる。
作戦が長引くに伴い、戦車輜重車はこわれ、軍馬は疲れ、兵器材料の損廃甚しく、国家財政はその大部分が尽きてしまう。」
※蔽櫓:車の上に載せる大盾
 丘牛:雄牛
智将は敵地の糧を利用するのに務める。
敵地の一鍾(日本の約六斗)はわが二十鍾の値打ちがあり、敵地のキカン(豆ガラと稲藁)一石(日本の約五貫)はわが二十石の値打ちがある。

2-4
故殺敵者怒也、取敵之利者貨也。
車戰得車十乘以上、賞其先得者、而更其旌旗。
車雜而乘之、卒善而養之。
是謂勝敵而益強。
2-4
故に敵を殺すものは怒(はげ)ませばなり、敵の利を取るものは貨(たから)すればなり。
車戦にして車十乗以上を得ば、先ず得し者を賞しその旌旗を更う。
車は雑[まじ]えてこれに乗らせ、卒は善(よ)みしてこれを養う。
是れを敵に勝ちてその強を益[ま]すと謂う。
2-4
士卒をして敵を殺させるためには、その心を激しはげまさねばならないし、
敵の利する所を奪いとらせるためには、賞を十分にせねばならない。
車戦で車十台(乗員計千人)以上を捕虜にすつという大勝利を得た時に、その中で一番高名をとげたものを賞し、その旌旗をかえて他の者にその武勇を知らせる。
分捕した車は味方の列に入れて行かせ、捕虜は厚遇してわが士卒の仲間入りをさせる。
こうすれば勝ちつゝ益々戦力が増す。
2-6
故兵貴勝、不貴久。故知兵之將、民之司命、國家安危之主也。
2-6
故に兵は勝つを貴びて久しきを貴ばず。
故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり。
2-6
目当ては勝つことである。長いいくさは貴ばない。
兵法に熟達せる将軍こそ、民の生命の保護者であり、国家を安きにおくものである。
※現代に比べて当時の戦争は将帥の比重が絶大であった。今日においても主将の責務は重大であるが、それは少なからず政治家と一般国民の肩の上に移行している。それは人類一般の進化に伴い国家社会の構造が変化するとともに科学技術が驚異的に進歩し、戦争の様相が変ってきたからである。そのことが即ち軍人以外の人たちの国防、兵学的素養の向上を要請するのである。

3 謀攻篇
  当時の戦争では、開戦初頭から彼我攻勢をとり運動戦が展開されるが、
 一方が不利となった後は、陣地戦または攻城戦に移行するのが一般的で
 ある。
  この篇は、攻城の道は謀にあることを主として、棒の大本を論じたも
 のである。
3-1
孫子曰、夫用兵之法、全國爲上、
破國次之、全軍爲上、破軍次之、
全旅爲上、破旅次之、全卒爲上、
破卒次之、全伍爲上、破伍次之。

是故百戰百勝、非善之善者也。

3-1
孫子曰わく、夫れ兵を用うるの法、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。
軍を全うするを上となし、軍を破るは之に次ぐ。

是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ず。

3-1
 孫子曰わく、夫れ兵を用うるの法、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。
軍を全うするを上となし、軍を破るは之に次ぐ。
旅を全うするを上となし、旅を破るは之に次ぐ。
卒を全うするを上となし、卒を破るは之に次ぐ。
伍を全うするを上となし、伍を破るは之に次ぐ。
「兵を用うる法は人をそこなわず、土地を荒らさず、彼自ら屈服して干戈(かんか)止み、その民喜んでわが軍を迎えるのがここにいう全てで、それが上乗の策であり、敵国敵軍を破壌して勝つのは次善である。」
※国:敵国
 一軍:一万二千五百人
 一旅:五百人
 卒:百人
 伍:五人

 百戦して百勝するは善である。それは兵を能くする者でなければ出来ないことである。然し戦争は人を殺傷し国を荒らすから国家長久の道ではない。のみならず戦う毎に勝つと、一方において軍民が慢心を起こすと共に、戦いを好んで遂に涜武(とくぶ)に陥り易いのが人生の弱点であるから、百戦百勝ということは善の善なるものではない。


不戰而屈人之兵、善之善者也。 戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。 ※元来たたかいの本質は意志の闘争である。故にたたかいの唯一にして真実の目標は敵の意志を屈服せしむるにある。これはたたかいの種類、時代の新古、洋の東西を問わず一貫した事実である。敵に損害を与えたり、苦痛恐怖絶望等の感を起こさせるのは、この目的を達する手段にすぎない。
目的が敵の不逞意志を屈するにあるのであるから、彼の戦意の起こるに先だって之を屈するのが最もつとめねばならない。即ちわがは正道をふみ真に人間らしい生活を営みつつ治に居て乱を忘れず自衛力を充実している時は、敵は我に対して不逞の侵略意志を起こし得ぬであろう。敵国内少数の支配者が不逞意志を起こしても、我に同調し我を欽迎する敵国人民の大部分は之に協力せぬであろう。これが不殺人の神武である。
3-2
故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城。

3-2
故に上兵は謀を伐ち、其の次ぎは交を伐ち、その次は兵を伐ち、その下は城を攻む。
3-2
※「謀を伐つ」とは政略戦略で勝つということである。政略上の過失は戦略で挽回
し難く、戦略上の過失は戦術では挽回し難い。
※「交を伐つ」とは敵国敵軍内部の上下左右のツナガリを乱すということ、敵の足
並みを乱し、組織体としての威力を減殺させて之を討つことである。※「兵を伐つ」とは敵軍に堅陣や城の如き甲羅を着せず、敵を引き出し裸にして討
ちとること、即ち野戦運動戦に誘って討つということである。堅陣堅城を攻撃する
のは最も下策である。
攻城之法、爲不得已。 攻城の法は、已むを得ざるが為めなり。
修櫓フンオン、具器械、三月而後成。踞イン、又三月而後已。 櫓・フンオンを修め、器械を具うること、三月にして後に成る。踞[キョ]イン又た三月にして後に已わる。  盾(櫓)や攻城車(フンオン)を作り、色々な攻城の器械を備え付けるのは三ヶ月かかる。土塁(踞イン)を作るにも三ヶ月はかかる。
將不勝其忿、殺士卒三分之一、而城不拔者、此攻之災也。 将その忿[いきどお]りに勝[た]えずしてこれに蟻附[ぎふ]すれば、士卒の三分の一を殺して而も城の抜けざるは、此れ攻の災いなり。  右の如く用意している期間をもどかしがり、攻城軍の大将が焦り忿って一時に乗っ取ろうとして、士卒が蟻の如くに城下におしよせ無理に之を攻めると、攻城の兵士三分の二は討たれるであろう。それでも城が落ちぬ時は、我が軍の気勢は日に衰えるに反し城中の勢が増す。これは謀なくして城を攻める害である。
3-3
故善用兵者、屈人之兵、而非戰也。拔人之城、而非攻也。毀人之國、而非久也。
3-3
故に善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも而も戦うに非ざるなり。人の城を抜くも而も攻むるに非ざるなり。人の国を毀[やぶ]るも而も久しきに非ざるなり。
3-3
愚将は敵を見れば必ず戦おうとし(見敵必殺の語を思い出す)、城を見れば必ず攻めようとし、敵国をそこなうには長日月かからねば出来ないというが、智将にあっては敵兵を屈するには必ずしも戦うには限らぬと考えている。敵の城を抜くには必ずしも攻める手だけだけではないと考えている。また敵国をやぶるには長日時を要せぬと考えている。『謀』があるからである。
必以全爭于天下。故兵不頓、而利可全。此謀攻之法也。 必らず全きを以て天下に争う。故に兵頓[ニブ]らずして利全うすべし。此れ謀攻の法なり。  智将は敵国敵軍敵旅敵卒敵伍を破らずに全うしつゝ屈せしめ、かくの如くして勝って益々太りつゝ全天下の我にあたって来る者と争う。だから我全力をそこなわずして利を全うすることが出来る。之が謀攻の法である。
3-4
故用兵之法、十則圍之、五則攻之、倍則分之、敵則能戰之、不若則能避之。
3-4
故に用兵の法、十ならば則ちこれを囲み、五ならば則ちこれを攻め、倍ならば則ちこれを分ち、敵[ひと]しければ則ち能くこれと戦い、少ならば則ち能く之を逃れ、若(し)かざれば則ち能く之を避く。

3-4
 我が兵力敵の十倍の時は敵城の四周を囲んで攻めず彼の自滅を計り、五倍の時は攻
略し、二倍の時は敵に匹敵するだけの兵力を対せしめて一半を奇兵に用い、彼我同等
の時は能く力闘すべく、われ劣勢の時はその地に戦はず逃れて後日を待ち、どうして
も叶わぬ時は闘ってはいけない、之が用兵の定石だ。
※この一文の精神はどこにあるのだろうか。それは次の二つである。
1 無理な用兵を慎み、自然に、無理なく、当面の現実に即応する部署をするのが即
ち変通自在の兵法である。即ち算数で割り切るのでなく算数をも応用するのが兵法で
ある。
2 兵形象水と言ってもその要素として数量を無視してはいけないということである。
故小敵之堅、大敵之擒也。 故に小敵の堅は、大敵の擒なり。  自らの戦力をはからずに、硬直な精神で徒らに堅守したり、また退くことを知らぬのは、大敵の擒(とりこ)となる好餌である。
3-5
夫將者、國之輔也。輔周則國必強、輔隙則國必弱。

3-5
夫れ将は国の輔なり。輔周ならば則ち国必ず強く、輔隙あれば則ち国必らず弱し。

3-5
 一体将帥は国の補佐者である。だから彼がよく「智信仁勇厳」の五徳を備えると共に人君が彼を心いっぱい働かせるときは国は強いが、この反対の場合は国は必ず弱い。
故君之所以患於軍者三。

故に君の軍に患うる所以の者には三あり。  軍事について君主のおかし易い愚が三つある。
不知軍之不可以進、而謂之進、不知軍之不可以退、而謂之退。是謂縻軍。 軍の進むべからざるを知らずして、これに進めと謂い、軍の退くべからざるを知らずして、これに退けと謂う。是れを糜(ビ?)軍と謂う。
 軍旅の進退懸引は事機の変に随わねばならぬのに、君国内にあって現地の実情を知らずして軍に進退を命ぜられると、真の用兵が出来ない。それは拘束された軍である。
不知三軍之事、而同三軍之政、則軍士惑矣。 三軍の事を知らずして三軍の政を同じくすれば、則ち軍士惑う。
 文武は編制制度統率運営などに於いて各々異なったものがある。それを弁(わきま)えずに人君が大将と同じ様に並んで下知されると、将兵は何れに服従すべきか惑う。
不知三軍之權、而同三軍之任、則軍士疑矣。 三軍の権を知らずして三軍の任を同じうすれば、則ち軍士疑う。
 軍に須要な権変の術謀をわきまえない人君が、大将に任せないで用兵のことを一々指図されると君の下知と大将の命とどっちに従うのがよいのかと将兵の心に疑心が生ずる。
※文は武に先行し、軍事は政治の一手段であり一部分である。そして両者は互いに反発抗争するのでなく補足強化し合うべきであり、然も各々その専門の枠内においては独立性がなければならない。
現時の日本人中には、昭和の軍部が統帥権独立に立てこもったからこの様なことになったと考えている人が少なくないようであるが、それは事実に反する。昭和の軍部は統帥権を孤立させていたのである。政治を壟断していたのである。
真の意味の統帥権独立は国家のため極めて必要なものである。
三軍既惑且疑、則諸侯之難至矣、是謂亂軍引勝。 三軍既に惑い且つ疑はば、則ち諸侯の難至らん。是れを軍を乱して勝を引くという。
※「勝を引く」とは我に勝つ敵を引き入れること。
3-6
故知勝者有五。
3-6

故に勝を知るに五あり。
※前の三か条は「知らずして命令した場合」の失を述べたものであるからここでは
3-6
「知って勝つの道」五つを述べている。
知可以與戰不可以與戰者勝。 以て与に戦うべく以て与に戦うべからざるを知る者は勝つ。 ※「与に」は「敵と」というに同じ。今戦うべきか避くべきか明察する。
識衆寡之用者勝。 衆寡の用を識る者は勝つ。 ※大軍の統帥法、小部隊の指揮法の区別のコツを知ること。
上下同欲者勝。 上下欲を同じうする者は勝つ。 ※大将から士卒まで同じ気分で戦いを欲すること。
以虞待不虞者勝。 虞を以て不虞を待つ者は勝つ。 ※我は戒め備えて敵の無備無戒を待つこと。
將能而君不御者勝。 将能にして君御せざる者は勝つ。 ※良将ありて人君之を自由に働かせること。
此五者、知勝之道也。故曰、知彼知己、百戰不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼、不知己、毎戰必敗。 この五者は、勝を知るの道なり。故に曰わく、彼れを知りて己を知れば、百戦して殆[あや]うからず。彼れを知らずして己を知れば、一たび勝ちて一たび負く。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎[ごと]に必らず敗れる。 ※有名な孫子の金言である。前来「知らずして命ずること」「勝ちを知る道」といつて「知る」ことを論じたので、本篇の結句としてこの一文をおいたのである。
 ここに「知る」ということは、単に数量とか部分的の現象とかだけを知るのでなく、物心、動静その他総合的見地に立って考えねばならぬ内容である。
 この一文で「彼を知りて己を知らざれば」という命題がない。それは決して略したのではなくて、「己を知らざる者」に「彼を知り得る」ということは考えられぬから、掲げてないのである。ここの「知る」ということをその様に深く解すること、また敵を知ることは極めて重要であるが、己を知ることはより肝要であることを、ソクラテスの「先ず汝自身を知れ」と言った金言と共に想起すべきであろう。

4 軍形篇
 目に見えるありさまを形という。軍の形(態勢)について、自らは不敗の立場にあって
敵の敗形に乗ずべきことをのべる。
孫子曰、昔之善戰者、先爲不可勝、以待敵之可勝、不可勝在己、可勝在敵。故善戰者、能爲不可勝、不能使敵之必可勝。故曰、勝可知、而不可爲。
孫子曰わく、昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも、敵をして必ず勝つべからしむること能わず。故に曰わく、勝は知るべし、而して為すべからざると。 ※勝は知るべし・・・・身方の勝利はあらかじめの計謀によって目算して知り得ても、
その実現は、敵の出かたによっても左右されることで、むりになしとげるわけにはい
かないという意味。

 孫子いわく、昔の戦いに巧みであった人は、まず〔身方を固めて〕だれにもうち勝つ
ことのできない態勢を整えたうえで、敵が〔弱点をあらわして〕だれでもがうち勝て
るような態勢になるのを待った。だれにもうち勝つことのできない態勢〔を作るの〕
は身方のことであるが、だれもが勝てる態勢は敵側のことである。だから、戦いに巧
みな人でも〔身方固めて〕だれにもうち勝つことのできないようにすることはできて
も、敵が〔弱点をあらわして〕だれでもが勝てるような態勢にさせることはできない。
そこで「勝利は知れていても、それを必ずなしとけるわけにはいかない。」といわれ
るのである。
不可勝者、守也。可勝者、攻也。守則不足、攻則有餘。善守者、藏於九地之下、善攻者、動於九天之上、故能自保而全勝也。
 勝つべからざる者は守なり。勝つべき者は攻なり。守は則ち足らざればなり。攻は則ち余り有ればなり。善く守る者は九地の下に蔵[かく]れ、善く攻むる者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり。 ※足らざればなり・・・・守備の態勢をとれば戦力に余裕ができ、攻撃すると戦力が
不足する。
※九地・・・・・九は九天の九と同じ。究極を示す。大地の最も深い底。

 だれにもうち勝てない態勢とは守備にかかわることである。だれでもがうち勝てる態勢とは攻撃にかかわることである。守備をするのは〔戦力が〕足りないからで、攻撃をするのは十分の余裕があるからである。守備の上手な人は大地の底の底にひそみ隠れ、攻撃の上手な人は天界の上の上で行動する。〔どちらにしてもその態勢をあらわさない。〕だから身方を安全にしてしかも完全な勝利をとげることができるのである。
4-2
見勝不過衆人之所知、非善之善者也。戰勝而天下曰善、非善之善者也。故舉秋毫不爲多力、見日月不爲明目、聞雷霆不爲聰耳。古之所謂善戰者、勝於易勝者也。故善戰者之勝也、無智名、無勇功。
 勝を見ること衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なる者に非ざるなり。戦い勝ちて天下善なりと曰うは、善の善なる者に非ざるなり。
 故に秋毫を挙ぐるは多力と為さず。日月を見るは明目と為さず。雷霆を聞くは聡耳と為さず。
 古えの所謂善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。故に善く戦う者の勝つや、智名も無く、勇功も無し。
 勝利をよみとるのに一般の人々にも分かる〔ようなはっきりしたものについて知る〕程度では、最高にすぐれたものではない。〔まだ態勢のはっきりしないうちによみとらねばならぬ。〕戦争してうち勝って天下の人々が立派だとほめるのでは、最高にすぐれたものではない。〔無形の勝ちかたをしなければならぬ。〕だから、細い毛を持ちあげるのでは力持ちとはいえず、太陽や月が見えるというのでは目が鋭いとはいえず、雷のひびきが聞こえるというのでは、耳がさといとはいえない。昔の戦に巧みといわれた人は、〔ふつうの人では見わけのつかない、〕勝ちやすい機会をとらえてそこでうち勝ったものである。だから戦いに巧みな人が勝ったばあいには、〔人目をひくような勝利はなく、〕智謀すぐれた名誉もなければ、武勇すぐれた手がらもない。
故其戰勝不タガワ、不タガワ者、其所措勝、勝已敗者也。故善戰者、立於不敗之地、而不失敵之敗也。是故勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝。
故に其の戦い勝ちてたがわず。たがわざる者は、其の勝を措く所、已に敗るる者に勝てばなり。故に善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり。是の故に勝兵は必ず勝ちて、而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む。
 善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
 そこで、彼が戦争をしてうち勝つことはまちがいがないが、そのまちがいがないというのは、彼がおさめた勝利のすべては、すでに負けている敵に勝ったものだからである。
それゆえに、戦いに巧みな人は〔身方を絶対負けない〕不敗の立場において敵の〔態勢がくずれて〕負けるようになった機会を逃さないのである。以上のようなわけで、勝利の軍は〔開戦前に〕まず勝利を得てそれから戦争しようとするが、敗軍はまず戦争を始めてからあとで勝利を求めるものである。
4-3
善用兵者、修道而保法、故能爲勝敗之政。
善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。 ※道・・・・計篇の五事の第一の道。上下を同心にさせる政治。
 法・・・・五事の第五の軍制のこと。

 戦争の上手な人は、〔人心を統一させるような〕政治を立派に行い、さらに、〔軍隊編制などの〕軍制をよく守る。だから勝敗を〔自由に〕決することができるのである。
4-4
兵法、一曰度、二曰量、三曰數、四曰稱、五曰勝。地生度、度生量、量生數、數生稱、稱生勝。故勝兵若以鎰稱銖、敗兵若以銖稱鎰。
兵法は、一に曰わく度[たく]、二に曰わく量、三に曰わく数、四に曰わく称、五に曰わく勝。地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。
故に、勝兵は鎰を以て銖を称[はか]るが若く、敗兵は銖を以て鎰を称るが若し。
 
※鎰・銖:重さの単位。鎰は二十両(一説には二十四両)。銖は一両の二十四の一で百粒の黍(きび)の重さ。

 戦争の原則としては〔五つの大切なことがある。〕第一には度(たく)・・・ものさしではかること・・・、第二には量(りょう)・・・ますめではかること、第三には数・・・数えはかること・・・、第四には称(しょう)・・・くらべはかること・・・、第五には勝(しょう)・・・勝敗を考えること・・・、である。〔戦場の〕土地について〔その広さや距離を考える〕度という問題が起こり、度の結果について〔投入すべき物量を考える〕量という問題が起こり、量の結果について〔動員すべき兵数を考える〕数という問題が起こり、数の結果について〔敵身方の能力をはかり考える〕称という問題が起こり、称の結果について〔勝敗を考える〕勝という問題が起こる。そこで、勝利の軍は〔こうした五段階を熟慮して十分の勝算を持っているから、〕重い鎰(いつ)の目方で軽い銖(しゅ)の目方を比べるよう〔に優勢〕であるが、敗軍では軽い銖の目方で重い鎰の目方に比べるよう〔に劣勢〕である。
4-5
勝者之戰、若決積水於千仞之谿者、形也。
勝者の民を戦わしむるや積水を千仭の谿に決するが若き者は、形[かたち]なり。  勝利者が〔いよいよ決戦となって〕人民を戦闘させるときは、ちょうど満々とたたえた水を千仭(せんじん)の谷底へきって落すような勢いで、そうした〔突然のはげしさへと導く〕のが形(態勢)の問題である。


5 兵勢篇
 勢とは個人の能力をこえた総体的な軍のいきおい。前には静的な形(態勢)についてのべ、
 ここではその形から発動する戦いのいきおいについてのべる。
5-1
孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也。闘衆如闘寡、形名是也。三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也。兵之所加、如以タン投卵者、虚實是也。
孫子曰わく、 凡そ衆を治むること寡を治むるが如くなるは、分数是れなり。
衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くなるは、形名是れなり。
三軍の衆、必らず敵に受[こた]えて敗なからしむべき者は、奇正是れなり。
兵の加うるところ、タン[石段]を以て卵に投ずるが如くなる者は、虚実是れなり。
※分数・・・文は軍の部わけ、数はその人数。軍隊編制のさだめ。
※形名・・・形は目に見えるもので、旗や幟の類。名は声すなわち音と同じで、耳に聞こえる鐘や太鼓の類。いずれも戦場での指令の具。
※受・・・・応の意味。
※奇正・・・正常な定石どおりの一般的な戦法が正。いずれかといえば静的で守勢。不敗の立場を作る。状況に応じた適時の変法が奇。動的な攻勢。必勝の態勢。
※虚実・・・虚は空の意味で、備えが無く乗ずべきすきのあること。実はその反対。充実の意。

 孫子はいう。およそ〔戦争に際して〕大勢の兵士を治めていてもまるで小人数を治めているように〔整然と〕いくのは、部隊の編成がそうさせるのである。
 大勢の兵士を戦闘させてもまるで小人数を戦闘させているように〔整然と〕いくのは、旗や鳴り物などの指令の設備がそうさせるのである。大軍の大勢の兵士が、敵のどんな出かたにもうまく対応して、決して負けることのないようにさせることができるのは、変化に応じて処置する奇法と定石どおりの正法と〔の使い分けのうまいこと〕がそうさせるのである。
 戦争が行われるといつまでもまるで石を卵にぶつけるように〔たやすく敵をうちひしぐことの〕できるのは、〔充実した軍隊ですきだらけの敵をうつ〕虚実の運用がそうさせるのである。
5-2
凡戰者、以正合、以奇勝。故善出奇者、無窮如天地、不竭如江海。終而復始、日月是也。死而更生、四時是也。
凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。終わりて復た始まるは、日月是れこれなり。死して更[こもごも]生ずるは四時これなり。
 およそ戦闘というものは、定石どおりの正法で−−不敗の地に立って−−敵と会戦し、情況の変化に適応した奇法でうち勝つのである。だから、うまく奇法を使う軍隊では、〔その辺かは〕天地の〔動きの〕ように窮まりなく、長江や黄河の水のように尽きることがない。
終わってはまたくりかえして始まるのは四季がそれであり、暗くなってまたくりかえして明るくなるのは日月がそれである〔が、ちょうどそれと同じである〕。
奇正の段(正攻法と奇法によって勝利を得よ)
聲不過五、五聲之變、不可勝聽也。色不過五、五色之變、不可勝觀也。味不過五、五味之變、不可勝嘗也。戰勢不過奇正、奇正之變、不可勝窮也。奇正相生、如循環之無端、孰能窮之哉。
声は五に過ぎざるも、五声の変は勝[あ]げて聴くべからず。 色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからず。 味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗[な]むべからず。 戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべからず。奇正の相生ずることは、循環の端なきが如し。孰[た]れか能くこれを窮めんや。  音は〔その音階は宮・商・角・徴・羽〕五つに過ぎないが、その五音階のまじりあった変化は〔無数で〕とても聞きつくすことはできない。
色は〔その原色は青・黄・赤・白・黒の〕五つに過ぎないが、その五色の交じり合った変化は〔無数で〕とても見つくすことはできない。味は〔酸・辛(しん:からみ)・?(かん:しおから)・甘・苦(にがみ)の〕の五つに過ぎないが、その五味はまじりあった変化は〔無数で〕とても味わいつくすことはできない。〔それと同様に、〕戦闘の勢いは奇法と正法と〔の二つの運用〕に過ぎないが、奇法と正法とが互いに生まれ出てくる−−奇中に正あり、正中に奇あり、奇から正が生まれ正から奇が生まれるという−−ありさまは、丸い輪に終点がないようなものである。誰にそれが窮められようか。
5-3
激水之疾、至於漂石者、勢也。鷙鳥之疾、至於毀折者、節也。故善戰者、其勢險、其節短、勢如張弩、節如發機。

激水の疾[はや]くして石を漂すに至る者は、勢なり。 鷙鳥の撃ちて毀折に至る者は、節なり。是の故に善く戦う者は、其の勢は険にして其の節は短なり。勢は弩をひ[弓廣]くがごとく、節は機を発するが如し。

※鷙鳥・・・鷹や鷲のように鳥獣を襲う猛禽のこと。
※節・・・・竹のふしの意から転じて、節度、節奏、折りめの意。いきおいづいた一連の動きの中での、それを区切るような瞬間的な動きをさす。
※短・・・・短促、近迫の意。力をためて機会を待ち、切迫してから始めて発動すること。
※弩・・・・石ゆみ。
※機・・・・石ゆみの引きがね。

 せきかえった水が岩石までもおし流すほどにはげしい流れになるのが、勢いである。猛禽がものをうちくだいてしまうほどに強い一撃をくだすのが、節(ふしめ)である。こういうわけで、戦いに巧みな人は、その勢いはけわしく〔してはげしさを増〕し、その節は切迫させ〔て強さを高め〕つ。勢いは石ゆみを張るときのようで、節はその引きがねを引くときのようである。
紛紛紜紜、闘亂、而不可亂也。渾渾沌沌、形圓、而不可敗也。 紛々紜々として闘い乱れて、見出すべからず。渾々沌々として形円くして、敗るべからず。  乱れに乱れた混戦状態になっても乱されることがなく、あいまいもこで前後も分からなくなってもうち破られることがない。
5-4
亂生於治、怯生於勇、弱生於強。治亂數也。勇怯勢也。強弱形也。
乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり。勇怯は勢なり。強弱は形なり。  混乱は整治から生まれる。おくびょうは勇敢から生まれる。軟弱は剛強から生まれる。〔これからそれぞれに動揺しやすく、互いに移りやすいものである。そして、〕乱れるかは、部隊は編成−−分数−−の問題である。おくびょうになるか勇敢になるかは、戦いのいきおい−−勢−−の問題である。弱くなるか強くなるかは、軍の態勢−−形−−の問題である。〔だから、数と勢と形とに留意してこそ、治と勇と強とが得られる。〕
5-5
故善動敵者、形之、敵必從之。予之、敵必取之。以利動之、以本待之。
故に善く敵を動かす者は、これに形すれば敵必らずこれに従い、これに予[あた]うれば敵必らずこれを取る。利を以てこれを動かし、詐を以てこれを待つ。  そこで、巧みに敵を誘い出すものは、敵に分かるような形を示すと敵はきっとそれについてくるし、敵に何かを与えると敵はきっとそれを取りにくる。〔つまり〕利益を見せて誘い出し、裏をかいてそれに当たるのである。
5-6
故善戰者、求之於勢、不責於人、故能擇人任勢。任勢者、其戰人也、如轉木石、木石之性、安則静、危則動、方則止、圓則行。故善戰人之勢、如轉圓石於千仞之山者、勢也。
 故に善く戦う者は、これを勢に求めて人に責めず、故に善く人を択[えら]びて勢に任ぜしむ。勢に任ずる者は、その人を戦わしむるや木石を転ずるがごとし。木石の性は、安ければ則ち静かに、危うければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仭の山に転ずるが如くなる者は、勢なり。  そこで、戦いに巧みな人は、戦いの勢いによって勝利を得ようと求めて、人材に頼ろうとはしない。だから、うまく〔種々の長所を備えた〕人々を選び出して、勢いのままに従わせることができるのである。勢いのままにまかせる人が兵士を戦わせるありさまは、木や石をころがすようなものである。木や石の性質は、〔平坦な処に〕安置しておけば静かであるが傾斜した処では動き出し、方形であればじっとしているが、丸ければ走り出す。そこで、巧みに兵士を戦わせたその勢いは、千仞の高い山から丸い石をころがしたほどにもなるが、それが戦いの勢いというものである。


6 虚実篇
  虚は空虚の意で、備えなくすきのあること。実は充実で十分の準備を備えること。
  実によって虚を伐つべきことを述べる。
6-1
孫子曰、凡先處戰地而待敵者佚、後處戰地而趨戰者勞。故善戰者、致人而不致於人。能使敵人自至者、利之也。能使敵人不得至者、害之也。故敵佚能勞之、飽能飢之、安能動之。
孫子曰わく、凡そ先に戦地に処[お]りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨[おもむ]く者は労す。故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。能く敵人をして自ら至らしむる者はこれを利すればなり。能く敵人をして至るを得ざらしむる者はこれを害すればなり。故に敵 佚すれば能くこれを労し、飽けば能くこれを饑[う]えしめ、安んずれば能くこれを動かす。 ※前半、主となれば安楽、客となれば苦労することをのべて、身方を実にすべきことをいい、後半、利害を示して敵を思うままにあやつり、実なる敵を虚にすることをのべる。

 孫子曰く、およそ〔戦争に際して〕先に戦場にいて敵の来るのを待つ軍隊は楽であるが、後から戦場にはせつける軍隊は骨がおれる。〔これが実と虚である。〕だから、戦いに巧みな人は、〔自分が主導権を握って実に処り、〕あいてを思いのままにして、あいての思いどおりにされることがない。
 敵軍を自分からやって来るようにさせることができるのは、利益になることを示して、誘うからである。敵軍を来られないようにさせることができるのは、害になることを示してひきとめるからである。〔つまりこちらが実であるからできる。〕だから、敵が〔よく休息をとって〕安楽でおればそれを疲労させることができ、〔兵糧が十分で〕腹いっぱいに食べていればそれを飢えさせることができ、安静に落ちついていればそれを誘いだすこともできるのである。〔つまり実の敵を虚にするのである。〕だから敵が〔よく休憩をとって〕安楽でおればそれを疲労させることができ、〔兵糧が十分で〕腹いっぱいに食べていればそれを飢えさせることができ、安静に落ちついていればそれを誘い出すこともできるのである。〔つまり実の敵を虚にするのである。〕
6-2
出其所不趨、趨其所不意。行千里而不勞者、行於無人之地也。攻而必取者、攻其所不守也。守而必固者、守其所不攻也。故善攻者、敵不知其所守。善守者、敵不知其所攻。微乎微乎、至於無形。神乎神乎、至於無聲、故能爲敵之司命。
其の必らず趨く所に出で、其の意[おも]わざる所に趨き、千里を行いて労[つか]れざる者は、無人の地を行けばなり。攻めて必らず取る者は、其の守らざる所を攻むればなり。守りて必らず固き者は、其の攻めざる所を守ればなり。故に善く攻むる者には、敵 其の守る所を知らず。善く守る者には、敵 其の攻むる所を知らず。微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命を為す。 ※千里:遠い道のり。里は距離の単位。日本の里の役十分の一で今の約四百メートル。
※前半は敵の虚に乗ずること、後半は身方の実を積むことをのべる。

 敵が必ずはせつけて来るような所に出撃し、敵の思いもよらない所に急進し、〔そのようにして〕遠い道のりを行軍しながら疲れることがないというのは、〔敵の間隔をぬって〕敵対する者のいない土地を行軍するからである。攻撃したからには必ず奪取するというのは、敵の守備していない所を攻撃するからである。守ったからには、必ず堅固だというのは、敵の攻撃しない所を守るからである。そこで攻撃の巧みな人には、敵はどこを守ったらよいのか分からず、守備の巧みな人には、敵はどこを攻めたらよいのか分からない。微妙、微妙、最高の境地は何の形もない。神秘、神秘最高の境地は何の音もない。そこで敵の運命の主宰者になることができるのだ。
6-3
進而不可禦者、衝其虚也。退而不可追者、速而不可及也。故我欲戰、敵雖高壘深溝、不得不與我戰者、攻其所必救也。我不欲戰、雖畫地而守之、敵不得與我戰者、乖其所之也。
進みて禦[ふせ]ぐべからざる者は、其の虚を衝けばなり。退きて追うべからざる者は、速かにして及ぶべからざればなり。故に我れ戦わんと欲すれば、敵 塁を高くし溝を深くすと雖も、我れと戦わざるを得ざる者は、其の必らず救う所を攻むればなり。我れ戦いを欲せざれば、地を画してこれを守ると雖も、敵 我れと戦うを得ざる者は、其の之[ゆ]く所に乖[そむ]けばなり。 ※其の之く所に乖く:敵の向かう所を誤らせる。此方に攻めて来ようとする敵に、利害の形を偽り示して疑念を起こさせ、他方に関心をそらすようにさせること。

 こちらで進撃したばあいに敵の方でそれを防ぎ止めるこのとのできないのは、敵のすきをついた〔進撃だ〕からである。後退したばあいに敵の方でそれを追うことのできないのは、すばやくて追いつけない〔後退だ〕からである。そこで、こちらが戦いたいと思うときには、敵がたとい土塁を高く積み上げ堀を深く掘って〔城にこもって戦いたいとして〕も、どうしてもこちらと戦わなければならない。そのようになるのは、敵が必ず救いの手を出さねばならない所を〔土塁を積んだり堀を掘ったりして固めるまでもなく〕地面に区切りを画いて守るだけでも、敵はこちらと戦うことができない。そのようになるのは、敵の向かう所をはぐらかすからである。
6-4
故形人而我無形、則我專而敵分。我專爲一、敵分爲十、是以十攻其一也。則我衆敵寡、能以衆撃寡、則吾之所與戰者、約矣。吾所與戰之地不可知、不可知、則敵所備者多。敵所備者多、則吾所與戰者、寡矣。故備前則後寡、備後則前寡、備左則右寡、備右則左寡。無所不備、則無所不寡。
故に〔善く将たる者は、〕人を形せしめて我れに形無ければ、則ち我れは専[あつ]まりて敵は分かる。我れは専まりて一と為り敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我れは衆にして敵は寡なり。能く衆を以て寡を撃てば、則ち吾が与[とも]に戦う所の者は約なり。
吾が与に戦う所の地は知るべからず、吾が与に戦う所の地は知るべからざれば、則ち敵の備うる所の者多し。敵の備うる所の者多ければ、則ち吾が与に戦う所の者は寡[すく]なし。故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なく、左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なく、備えざる所なければ則ち寡なからざる所なし。
※人を形せしめ・・・形は形篇の形。軍の態勢。あいてにはっきりした形をとらせて身方がそれを把握すること。「人をあらわして」とよんでもよい。
※人を形せしめ・・・形は形篇の形。軍の態勢。あいてにはっきりした形をとらせて身方がそれを把握すること。「人をあらわして」とよんでもよい。
※十を以て其の一を攻む・・・敵が分かれて十隊となれば、その一隊は身方の十分の一であるから、身方の十で敵の一を攻めることになる。
※約・・・簡約、集約の意。

 そこで、敵にはっきりした態勢をとらせて(虚)、こちらでは態勢を隠して無形だ(実)というのであれば、こちらは〔敵の態勢に応じて〕集中するが敵は〔疑心暗鬼で〕分散する。こちらは集中して一団になり敵は分散して十隊になるというのであれば、その結果はこちらの十人で敵の一人を攻めることになる。つまりこちらは大勢で敵は小勢である。大勢で小勢を攻撃してゆくことができるというのは、こちらの軍隊が集中しているからである。こちらが戦おうとする場所が敵には分からず、分からないとすると、敵はたくさんの備えをしなければならず、敵がたくさんの備えをすると、〔其の兵力を分散することになって、〕こちらの戦いのあいては〔いつも〕小勢になる。だから、前軍に備えをすると後軍は小勢になり、後軍に備えをすると前軍が小勢になり、左軍に備えをすると右軍が小勢になり、右軍に備えをすると左軍が小勢になり、どこもかしこも備えをしようとすると、どこもかしこも小勢になる。
寡者備人者也。衆者使人備己者也、故知戰之地、知戰之日、則可千里而會戰。不知戰地、不知戰日、則左不能救右、右不能救左、前不能救後、後不能救前、而況遠者數十里、近者數里乎。以吾度之、越人之兵雖多、亦奚益於勝哉。故曰、勝可爲也。敵雖衆、可使無闘。 寡なき者は人に備うる者なればなり。衆[おお]き者は人をして己れに備えしむる者なればなり。 故に戦いの地を知り戦いの日を知れば、則ち千里にして会戦すべし。戦いの地をしらず戦いの日を知らざれば、則ち左は右を救うこと能わず、右は左を救うこと能わず、前は後を救うこと能わず、後は前を救うこと能わず。 而るを況や遠き者は数十里、近き者は数里なるをや。吾れを以てこれを度[はか]るに、越人の兵は多しと雖も、亦た奚[なん]ぞ勝に益せんや。故に曰く、勝はほしいままにすべきなりと。敵は衆しと雖も、闘い無からしむべし。 ※越人・・・越(えつ)は春秋時代の国の名。ほぼ今の浙江省にあたる地方。隣国の呉との間にはげしい興亡戦をくりかえした。上文の「吾を以て」の「吾」を「呉」の字に改めた俗本のあるのは、そのためである。なお、「孫子」の著者とされる孫武はこの呉に仕えた。

 小勢になるのはあいてに備えをする立場だからである。大勢になるのはあいてをこちらのために備えをさせる立場だからである。そこで、戦うべき場所が分かり、戦うべき時期が分かったらなら、遠い道のりでも〔はせつけて主導権を失わずに〕合戦すべきである。戦うべき場所も分からず、戦うべき時期も分からないのでは、左軍は右軍を助けることができず、後軍も前軍を助けることができない。〔同じ軍団の中でもこうだから、〕ましてや遠い所では数十キロ、近い所でも数キロだきの友軍には、なおさらのことである。私が考えてみるのに、越の国の兵士がいかに数多くても、とても勝利の足しにはならないだろう。だから、勝利は思いのままに得られるというのである。敵はたとい大勢でも〔虚実のはたらきでそれを分散させて〕戦えないようにしてしまうのだ。
6-5
故策之而知得失之計、作之而知動静之理、形之而知死生之地、角之而知有餘不足之處。
故にこれを策[はか]りて得失の計を知り、これを作[おこ]して動静の理を知り、これを形[あらわ]して死生の地を知り、これに角[ふ]れて有余不足の処を知る。 ※策りて・・・策は算と同じ。戦闘の前に目算すること。
※角れて・・・角は触の意。敵軍に小部隊で当たってみること。

 そこで、〔戦いの前に敵の虚実を知るためには、〕敵情を目算してみて利害損得の見積もりを知り、敵軍を刺激して動かせてその行動の基準を知り、敵軍のはっきりした態勢を把握してその敗死すべき地勢と敗れない地勢とを知り、敵軍と小競り合いしてみて優勢な所と手薄な所とを知るのである。
6-6
故形兵之極、至於無形。無形、則深間不能窺、智者不能謀。因形而措勝於衆、衆不能知。人皆知我所以勝之形、而莫知吾所以制勝之形。故其戰勝不復、而應形於無窮。
故に兵を形すの極は、無形に至る。無形なれば、則ち深間も窺うこと能わず、智者も謀ること能わず。形に因りて勝を錯[お]くも、衆は知ること能わず。人皆な我が勝の形を知るも、吾が勝を制する所以の形を知ること莫し。故に其の戦い勝つや復[くりかえ]さずして、形に無窮に応ず。 ※深間・・・間は間諜。深く入りこんだスパイ。スパイについては用間篇第十二がある。
※戦い勝や復さず・・・勝ちかたがさまざまで、古い同じ形をくりかえさないこと。

 そこで、軍の形(態勢)をとる極地は無形になることである。無形であれば深く入りこんだスパイでもかぎつけることができず、智謀すぐれた者でも考え慮ることができない。〔あいての形がよみとれると、〕その形に乗じて勝利が得られるのであるが、一般の人々にはその形を知ることができない。人々はみな身方の勝利のありさまを知っているが、身方がどのようにして勝利を決定したかというそのありさまは知らないのである。だから、その戦ってうち勝つありさまには二度とはくりかえしが無く、あいての態勢しだいに対応して窮まりがないのである。
6-7
夫兵形象水、水之形、避高而趨下、兵之形、避實而撃虚。水因地而制流、兵因敵而制勝。故兵無常勢、水無常形。能因敵變化而取勝者、謂之神。故五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生。
夫れ兵の形は水に象[かたど]る。水の行は高きを避けて下[ひく]きに趨[おもむ]く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、水に常形なし。能く敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。故に五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短長あり、月に死生あり。 ※五行に常態なく・・・・木・火・土・金・水の五つの木のめぐりは、木は土に勝ち、土は水に勝ち、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝って(相勝説)、一つだけで必ずすべてに勝つというものではない。軍の形もそれと同じだということ。

 そもそも軍の形は水の形のようなものである。水の流れは高い所を避けて低い所へと走るが、〔そのように〕軍の形も敵の備えをした実の所を避けてすきのある虚の所を攻撃するのである。水は地形のままに従って流れを定めるが、〔そのように〕軍も敵情のままに従って勝利を決する。だから、軍にはきまった勢いというものがなく、またきまった形というものがない。うまく敵情のままに従って変化して勝利を勝ちとることのできるのが、〔はかり知れない〕神妙というものである。そこで、木・火・土・金・水の五行でも一つだけでいつでも勝つというものではなく、春・夏・秋・冬の四季にも一つだけでもいつでも止まっているというものではなく、日の出る間にも長短があり、月にも満ち欠けがあるのだ。

7 軍争篇
  実戦中、敵の機先を制して利益を収めるために競うことをのべる。
7-1
孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、交和而舍、莫難於軍争。軍爭之難者、以迂爲直、以患爲利。故迂其途、而誘之以利、後人發、先人至、此知迂直之計者也。
孫子曰わく、凡そ用兵の法は、将 命を君より受け、軍を合し衆を聚[あつ]め、和を交えて舎[とど]まるに、軍争より難きは莫し。軍争の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為す。故に其の途を迂にしてこれを誘うに利を以てし、人に後れて発して人に先きんじて至る。此れ迂直の計を知る者なり。  孫子はいう。およそ戦争の原則としては、将軍が主君の命令を受けてから、軍隊を統合し兵士を集めて敵と対陣して止まるまでの間で、軍争−−機先を制するための争い−−ほどむつかしいののはない。軍争のむつかしいのは、廻り遠い道をまっ直ぐの近道にし、害のあることを利益に転ずることである。そこで、廻り遠い道をと〔ってゆっくりしてい〕るように見せかけ、敵を利益でつって〔ぐずぐずさせ〕、あいてよりも後から出発してあいてよりも先に行きつく、それが遠近の計−−遠い道を近道に転ずるはかりごと−−を知るものである。
軍爭爲利、衆爭爲危。舉軍而爭利、則不及。委軍而爭利、則輜重捐。是故巻甲而趨、日夜不處、倍道兼行、百里而爭利、則擒三將軍、勁者先、疲者後、其法十一而至。五十里而爭利、則蹶上將軍、其法半至。三十里而爭利、則三分之二至。是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡。 軍争は利たり、軍争は危たり。軍を挙げて利を争えば則ち及ばず、軍を委[す]てて利を争えば則ち輜重捐[す]てらる。〔軍に輜重なければ則ち亡び、糧食なければ則ち亡び、委積なければ則ち亡ぶ 。〕
 是の故に、甲を巻きて趨[はし]り、日夜処[お]らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争うときは、則ち三将軍を擒[とりこ]にせらる。勁[つよ]き者は先きだち、疲るる者は後れ、其の率 十にして一至る。五十里にして利を争うときは、則ち上将軍を蹶[たお]す。其の率 半ば至る。三十里にして利を争うときは、則ち三分の二至る。是れを以て軍争の難きを知る。〔是れを以て軍争の難きを知る。〕
 
 軍争は利益を収めるが、軍争はまた危険なものである。もし全軍こぞって有利な地を得ようとして競争すれば、〔大部隊では行動が敏捷にいかないから、〕あいてより遅れてしまい、もし軍の全体にはかまわずに有利な地を得ようとして競争すれば、〔重い荷物を運搬する〕輜重隊は捨てられることになる。〔−−軍隊に輜重がなければ敗亡し、兵糧がなければ敗亡し、財貨がなければ敗亡するからだ。−−〕
 こういうわけで、よろいをはずして走り、昼も夜も休まずに道のりを倍にして強行軍し、百里の先でも有利な地を得ようと競争するときには、〔上軍・中軍・下軍の〕三将軍ともに捕虜にされる〔大敗となる〕。強健な兵士は先になり、疲労した兵士は後におくれて、その割合は十人のうちの一人がいきつくだけだからである。〔またこのようにして〕五十里の先で有利な地を得ようとして競争するときには、〔先鋒の〕上将軍がひどいめにあう。そのわりあいは半分が行き着くだけだからである。〔また〕三十里の先で有利な地を得ようとして競争するときには、三分の二がいきつくだけである。〔−−以上によって、軍争のむつかしいことが分かる。−−〕
7-2
故不知諸侯之謀者、不能豫交。不知山林險阻沮澤之形者、不能行軍。不用郷導者、不能得地利。
故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行[や]ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。  そこで、諸侯たちの腹のうちが分からないのでは、前もって同盟することはできず、山林や険しい地形が分からないのでは、軍隊を進めることはできず、その土地に詳しい案内役を使えないのでは、地形の利益を収めることはできない。
7-3
故兵以詐立、以利動、以分合爲變者也。故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震。掠郷分衆廓地分利、懸權而動。先知迂直之計者勝、此軍爭之法也。
故に兵は詐を以て立ち、利を動き、分合を以て変を為す者なり。故に其の疾[はや]きこと風の如く、其の徐[しずか]なることは林の如く、侵掠することは火の如く、動かざることは山の如く、知り難きことは陰の如く、動くことは雷の震うが如くにして、郷を掠[かす]むるには衆を分かち郷[むか]うところを指[しめ]すに衆を分かち〕、地を廓[ひろ]むるには利を分かち、権を懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり。  そこで、戦争は敵の裏をかくことを中心とし、利のあるところに従って行動し、分散や集合で変化の形をとっていくものである。だから、風のように迅速に進み、林のように息をひそめて待機し、火の燃えるように侵奪し、暗やみのように分かりにくくし、山のようにどっしりと落ちつき、雷鳴のようにはげしく動き、村里をかすめ取〔って兵糧を集め〕るときには兵士を手分けし、土地を〔奪って〕広げるときにはその要点を分守させ、万事についてよく見積りはかったうえで行動する。あいてに先んじて遠近の計−−遠い道を近道に転ずるはかりごと−−を知るものが勝つのであって、これが軍争の原則である。
7-4
軍政曰、言不相聞、故爲之金鼓。視不相見、故爲之旌旗。夫金鼓旌旗者、所以一人之耳目也。人既專一、則勇者不得獨進、怯者不得獨退、此用衆之法也。故夜戰多火鼓、晝戰多旌旗、所以變人之耳目也。
軍政に曰わく、「言うとも相い聞えず、故に鼓鐸を為[つく]る。視[しめ]すとも相い見えず、故に旌旗を為る」と。夫れ金鼓・旌旗なる者は人の耳目を一にする所以なり。人既に専一なれば、則ち勇者も独り進むことを得ず、怯者も独り退くことを得ず。〔紛々紜々[ふんふんうんうん]、闘乱して見るべからず、渾渾沌沌、形円くてして敗るべからず。〕此れ衆を用うるの法なり。故に夜戦に火鼓多く昼戦に旌旗多きは、人の耳目を変うる所以なり。  古い兵法書には「口で言ったのでは聞こえないから太鼓や鐘の鳴り物を備え、さし示しても見えないから旗や幟を備える。」とある。だからこそ、昼まの戦には旗や幟をたくさん使い、夜の戦いには太鼓や鐘をたくさん使うのである。鳴りものや旗の類というのは、兵士たちの耳目を統一するためのものである。兵士たちが集中統一されているからには、勇敢なものでも勝手に進むことはできず、臆病なものでもかってに退くことはできない。〔乱れに乱れた混戦状態になっても乱されることがなく、あいまいもので前後も分からなくなってもうち破られることがない。〕これが大部隊を働かせる方法である。
故三軍可奪氣、將軍可奪心。是故朝氣鋭、晝氣惰、暮氣歸。善用兵者、避其鋭氣、撃其惰歸、此治氣者也。以治待亂、以静待譁、此治心者也。以近待遠、以佚待勞、以飽待飢、此治力者也。無邀正正之旗、勿撃堂堂之陣、此治變者也。 故に三軍には気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。是の故に朝の気は鋭、昼の気は惰、暮れの気は帰。故に善く兵を用うる者は、其の鋭気を避けて其の惰帰を撃つ。此れ気を治むる者なり。治を以て乱を待ち、静を以て譁[か]を待つ。此れ心を治むる者なり。近きを以て遠きを待ち、佚を以て労を待ち、飽を以て飢を待つ。此れ力を治むる者なり。正々の旗を邀[むか]うること無く、堂々の陳[じん=陣]を撃つこと勿し。此れ変を治むる者なり。  だから、〔敵の〕軍隊についてはその気力を奪い取ることができ、〔敵の〕将軍についてはその心を奪い取ることができる。そこで、−−朝がたの気力は鋭く、昼ごろの気力は衰え、暮れ方の気力はつきてしまうものであるから、−−戦争の上手な人は、あいての鋭い気力を避けてその衰えてしぼんだどころを撃つ。それが〔敵の軍隊の気力を奪い取って〕気力についてうち勝つというものである。また治まり整った常態で混乱したあいてに当たり、冷静な状態でざわめいたあいてに当たる。それが〔敵の将軍の心を奪い取って〕心についてうち勝つというものである。また戦場の近くに居て遠くからやって来るのを待ちうけ、安楽にしていて疲労したあいてに当たり、腹いっぱいでいて飢えたあいてに当たる。それが戦力についてうち勝つというものである。またよく整備した旗ならびには戦をしかけることをせず、堂々と充実した陣だてには攻撃をかけない。それが〔敵の変化を待ってその〕変化についてうち勝つというものである。
故用兵之法、高陵勿向、背丘勿逆、佯北勿從、鋭卒勿攻、餌兵勿食、歸師勿遏、圍師必闕、窮寇勿迫、此用兵之法也。 故に用兵の法、高陵には向かうこと勿かれ、背丘には逆[むか]うること勿かれ、佯[しょう]北には従うこと勿かれ、鋭卒には攻むること勿かれ、餌兵には食らうこと勿かれ、帰師には遏むること勿かれ、囲師には必らず闕[か]き、窮寇には迫ること勿かれ。此れ用兵の法なり。  ゆえに戦争の原則としては、高い陵にいる敵を攻めてはならず、丘を背にして攻めてくる敵は迎え撃ってはならず、嶮しい地勢にいる敵には長く対してはならず、偽りの誘いの退却は追いかけてはならず、鋭い気勢の敵兵には攻めかけてはならず、こちらを釣りにくる餌の兵士には食いついてはならず、母国に帰る敵軍はひき止めてはならず、包囲した敵軍には必ず逃げ口をあけておき、進退きわまった敵をあまり追い詰めてはならない。以上−−常法とは違ったこの九とおりの処置をとること−−が戦争の原則である。


8 九変篇
  変は変化、変態の意。常法にこだわらず、事変に臨んで臨機応変にとるべき九とおりの変った処置について記述
孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、ヒ(土己)地無舍、衢地合交、絶地無留、圍地則謀、死地則戰。 孫子曰わく、凡そ用兵の法は、高陵には向かうこと勿かれ、背丘には逆[むか]うること勿かれ、絶地には留まること勿かれ、佯[しょう]北には従うこと勿かれ、鋭卒には攻むること勿かれ、餌兵には食らうこと勿かれ、帰師には遏むること勿かれ、囲師には必らず闕[か]き、窮寇には迫ること勿かれ。此れ用兵の法なり。 
※篇首のこの一段は錯乱があるとして古くから疑問とされてきた。他篇との重複があり、内容が「九編」の数に合わないことが主な理由である。「孫子曰」から「合軍聚衆」は軍争篇首と同じ。つづく「ヒ(土己)地無舍」以下五句は、「絶地無留」の他はみな九地篇第一節と重複。
8-1
孫子曰、凡用兵之法、高陵勿向、背丘勿逆、佯北勿從、鋭卒勿攻、餌兵勿食、歸師勿遏、圍師必闕、窮寇勿迫、此用兵之法也。
孫子曰わく。凡そ用兵の法、高陵には向かうこと勿かれ、背丘には逆[むか]うること勿かれ、佯[しょう]北には従うこと勿かれ、鋭卒には攻むること勿かれ、餌兵には食らうこと勿かれ、帰師には遏むること勿かれ、囲師には必らず闕[か]き、窮寇には迫ること勿かれ。此れ用兵の法なり。  孫子はいう、およそ戦争の原則としては、高い陵にいる敵を攻めてはならず、丘を背にして攻めてくる敵は迎え撃ってはならず、嶮しい地勢にいる敵には長く対してはならず、偽りの誘いの退却は追いかけてはならず、鋭い気勢の敵兵には攻めかけてはならず、こちらを釣りにくる餌の兵士には食いついてはならず、母国に帰る敵軍はひき止めてはならず、包囲した敵軍には必ず逃げ口をあけておき、進退きわまった敵をあまり追い詰めてはならない。以上−−常法とは違ったこの九とおりの処置をとること−−が戦争の原則である。
8-2
途有所不由、軍有所不撃、城有所不攻、地有所不爭、君命有所不受。
塗[みち]に由らざる所あり。軍に撃たざる所あり。城に攻めざる所あり。地に争わざる所あり。君命に受けざる所あり。  道路は〔どこを通ってもよさそうであるが〕通ってはならない道路もある。敵軍は〔どれを撃ってもよさそうであるが〕撃ってはならない敵軍もある。城は〔どれを攻めてもよさそうであるが〕攻めてはならない城もある。土地は〔どこを奪取してもよさそうであるが〕争奪してはならない土地もある。君命は〔どれを受けてもよさそうであるが〕受けてはならない君命もある。
-3
故將通於九變之利者、知用兵矣。將不通九變之利者、雖知地形、不能得地之利矣。治兵不知九變之術、雖知五利、不能得人之用矣。
故に将 九変の利に通ずる者は、兵を用うることを知る。将 九変の利に通ぜざる者は、地形を知ると雖も、地の利を得ること能わず。兵を治めて九変の術を知らざる者は、五利を知ると雖も、人の用を得ること能わず。  そこで、〔上の第一段にのべた〕九変−−常道とは違った九とおりの処置−−の利益によく精通した将軍こそは、軍隊の用い方をわきまえたものである。九変の利益に精通しない将軍では、たとい戦場の地形が分かっていても、その地形から得られる利益を獲得することはできない。軍を統率しながら九変のやり方を知らないのでは、たとい〔上にのべた〕五つの処置の利益が分かっていても、兵士たちを十分に働かせることはできない。
8-4
是故智者之慮、必雜於利害、雜於利、而務可信也、雜於害、而患可解也。
是の故に、智者の慮は必らず利害に雑[まじ]う。利に雑りて而[すなわ]ち務め信なるべきなり。害に雑りて而ち患い解くべきなり。  こういうわけで、智者の考えというものは、〔一つの事を考えるのに〕必ず利と害とをまじえ合わせて考える。利益のある事にはその害になる面もあわせ考えるから、仕事はきっと成功するし、害のあることにはその利点も合わせて考えるから、心配ごとも解消する。〔それでこそ九変の利益にも通ずることができるのである。〕
8-5
是故屈諸侯者以害、役諸侯者以業、趨諸侯者以利。
是の故に、諸侯を屈する者は害を以てし、諸侯を役[えき]する者は業を以てし、諸侯を趨[はし]らす者は利を以てす。  こうしたわけで、外国の諸侯を屈服させるにはその害になることばかりを強調し、外国の諸侯を使役するには〔どうしても手をつけたくなるような魅力的な〕事業をしむけ、外国の諸侯を奔走させるにはその利益になることばかりを強調する。
8-6
故用兵之法、無恃其不來、恃吾有以待之。無恃其不攻、恃吾有所不可攻也。
故に用兵の法は、其の来たらざらるを恃[たの]むこと無く、吾れの以て待つ有ることを恃むなり。其の攻めざるを恃むこと無く、吾が攻むべからざる所あるを恃むなり。  そこで、戦争の原則としては、敵のやって来ないことを〔あてにして〕頼りとするのでなく、いつやってきてもよいような備えがこちらにあることを頼みとする。また敵の攻撃してこないことを〔あてにして〕頼りとするのでなく、攻撃できないような態勢がこちらにあることを頼みとするのである。
8-7
故將有五危、必死可殺也、必生可虜也、忿速可侮也、廉潔可辱也、愛民可煩也、凡此五者、將之過也、用兵之災也、覆軍殺將、必以五危、不可不察也。
故に将に五危あり。必死は殺され、必生は虜にされ、忿速は侮られ、廉白は辱められ、愛民は煩さる。凡そ此の五つの者は将の過ちなり、用兵の災いなり。軍を覆し将を殺すは必らず五危を以てす。察せざるべからざるなり。  そこで、将軍にとっては五つの危険なことがある。決死の覚悟で〔かけ引きを知らないで〕いるのは殺され、生きることばかりを考えて〔勇気に欠けて〕いるのは捕虜にされ、気みじかで怒りっぽいのは侮られて計略におちいり、利欲がなくて清廉なのは辱めれれて計略におちいり、兵士を愛するのは兵士の世話で苦労させられる。およそこれらの五つのことは、将軍としての過失であり、戦争をするうえで害になることである。軍隊を滅亡させて将軍を戦死させるのは、必ずこの五つの危険のどれかであるから、十分に注意しなければならない。


9 行軍篇
   軍をおし進めることに関して、軍隊を止める場所や敵情の観察など、行軍に必要な注意をのべる。
9-1
孫子曰、凡處軍相敵、絶山依谷、視生處高、戰隆無登、此處山之軍也。絶水必遠水。客絶水而來、勿迎於水内、令半濟而撃之利。欲戰者、無附於水而迎客。視生處高、無迎水流、此處水上之軍也。絶斥澤、唯亟去無留。若交軍於斥澤之中、必依水草、而背衆樹、此處斥澤之軍也。平陸處易、右背高、前死後生、此處平陸之軍也。凡四軍之利、黄帝之所以勝四帝也。
孫子曰わく、凡そ軍を処[お]き敵を相[み]ること。山を絶つには谷に依り、生を視て高きに処り、隆[たか]き戦いては登ること無かれ。此れ山に処るの軍なり。水を絶てば必らず水に遠ざかり、客 水を絶ちて来たらば、これを水の内に迎うる勿く、半ば済[わた]らしめてこれを撃つは利なり。戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うること勿かれ。生を視て高きに処り、水流を迎うること無かれ、此れ水上に処るの軍なり。

斥沢を絶つには、惟だ亟[すみや]かに去って留まること無かれ。若し軍を斥沢の中に交うれば、必らず水草に依りて衆樹を背[はい]にせよ。此れ斥沢に処るの軍なり。平陸には易に処りて而して高きを右背にし、死を前にして生を後にせよ。此れ平陸に処るの軍なり。凡そ此の四軍の利は、黄帝の四帝に勝ちし所以なり。
 孫子はいう。凡そ軍隊を置く所と敵情の観察とについてのべよう。山越えをするには谷に沿って行き、高みを見つけては高地に居り、高い所で戦うときには上に居る敵に立ち向かってはならない。これが山に居る軍隊についてにことである。川を渡ったなら必ずその川から遠ざかり、敵が川を渡って攻めて来たときには、それを川の中で迎え撃つことをしないで、その半分を渡らせてしまってから撃つのが有利である。戦おうとするときには、川のそばに行って敵を迎え撃ってはならない。高みを見つけては高地に居り、川の下流に居て上流からの敵に当たってはならない。これが川のほとりに居る軍隊についてのことである。
 沼沢地を越えるときには、できるだけ早く通り過ぎてぐずぐずしていてはならない。もし〔やむを得ず〕沼沢地の中で戦うことになったら、必ず飲料水と飼料の草とのあるそばで森林を背後に〔して陣立てを〕せよ。これが沼沢地に居る軍隊についてのことである。平地では足場のよい平らかな所に居て、高地を背後と右手にし、低い地形を前にして高みを後ろにせよ。これが平地に居る軍隊についてのことである。
 およそこうした〔山と川と沼沢と平地との〕四種の軍隊についての利益こそ、黄帝が〔東西南北〕四人の帝王にうち勝った原因である。
9-2
凡軍好高而惡下、貴陽而賤陰、養生處實、軍無百疾、是謂必勝、丘陵堤防、必處其陽、而右背之、此兵之利、地之助也。
凡そ軍は高きを好みて下[ひく]きを悪[にく]み、陽を貴びて陰を賎しむ。生を養いて実に処[お]る。是れを必勝と謂い、軍に百疾なし。丘陵堤防(堤はこざとへん)には必らず其の陽に処りて而してこれを右背にす。此れ兵の利、地の助けなり。  およそ軍隊を駐[とど]めるには、高地をよしとして低地を嫌い、日当たりの良い〔東南のひらけた〕所を貴んで、日当たりの悪い所は避け、兵士の健康に留意して水や草の豊富な場所を占める。これを必勝の軍といい、軍隊に種々の疾病が起こることもない。丘陵や堤防などでは必ず日当たりの良い東南に居て、その丘陵や堤防が背後と右手になるようにする。これが戦争の利益になることで、地形の援護である。
9-3
上雨水沫至、欲渉者、待其定也
上に雨ふりて水沫至らば、渉らんと欲する者は、其の定まるを待て。  上流が雨で川があわだって流れているときは〔洪水の恐れがあるから、〕もし渡ろうとするならその流れのおちつくのを待ってからにせよ。
9-4
凡地有絶澗天井天牢天羅天陷天隙、必亟去之、勿近也、吾遠之敵近之、吾迎之敵背之。
凡そ地に絶澗・天井[せい]・天牢・天羅・天陥・天隙あらば、必らず亟かにこれを去りて、近づくこと勿かれ。吾れはこれに遠ざかり、敵にはこれに近づかしめよ。吾れはこれを迎え、敵にはこれに背せしめよ。  およそ地形に絶壁の谷間や自然の井戸や自然の牢獄や自然の捕り網や自然の落とし穴や自然の切り通しのあるときには、必ず早くそこを立ち去って、近づいてはならない。こちらではそこから遠ざかって敵にはそこに近づくようにしむけ、こちらではその方に向かって敵にはそこが背後になるようにしむけよ。
9-5
軍旁有險阻コウ井蒹葭林木エイ薈者、必謹覆索之、此伏姦之所也
軍の傍に険阻・こう[水黄]井・葭葦[かい]・山林・えい[艸+翳]薈[わい]ある者は、必らず謹んでこれを覆索せよ、此れ伏姦の処る所なり。  軍隊の近くに、けわしい地形や池や窪地や葦の原や山林や草木の繁茂したところがあるときには、必ず慎重にくりかえして捜索せよ。これらは伏兵や偵察隊の居る場所である。
9-6
敵近而静者、恃其險也、遠而挑戰者、欲人之進也、其所居易者、利也、衆樹動者、來也、衆草多障者、疑也、鳥起者、伏也、獸駭者、覆也、塵高而鋭者、車來也、卑而廣者、徒來也、散而條達者、樵採也。少而往來者、營軍也
敵近くして静かなる者は其の険を恃むなり。敵遠くして戦いを挑む者は人の進むを欲するなり。其の居る所の易なる者は利するなり。衆樹の動く者は来たるなり。衆草の障多き者は疑なり。鳥の起つ者は伏なり。獣の駭[おどろ]く者は覆[ふう]なり。塵高くして鋭き者は車の来たるなり。卑[ひく]くして広き者は徒の来たるなり。散じて条達する者は樵採なり。少なくして往来する者は軍を営むなり。  敵がこちらの近くに居りながら静まりかえっているのは、その地形の険しさを頼みとしているのである。敵が遠くに居りながら合戦をしかけるのは、こちらの進撃を望んでいるのである。その陣所が〔険しい地形でなく〕平坦なところにあるのは、利益を示して誘い出そうとしているのである。多くの樹々がざわめくのは攻めて来たのである。多くの草がたくさんおおいかぶせてあるのは伏兵をこちらに疑わせるためである。鳥が飛び立つのは伏兵である。獣が驚き走るのは奇襲である。ほこりが高く上って前方のとがっているのは戦車が攻めて来るのである。低くたれて広がっているのは歩兵が攻めて来るのである。諸所に散らばって細長いのは薪を取っているのである。少しのほこりであちこちと動くのは〔斥候の動きであって〕軍営を作ろうとしているのである。
9-7
辭卑而益備者、進也。辭強而進驅者、退也。輕車先出居其側者、陣也。無約而請和者、謀也。奔走而陳兵者、期也。半進半退者、誘也。
 辞の卑[ひく]くして備えを益す者は進むなり。辞の強くして進駆する者は退くなり。軽車の先ず出でて其の側に居る者は陳するなり。約なくして和を請う者は謀なり。奔走して兵を陳[つら]ぬる者は期するなり。半進半退する者は誘うなり。  〔敵の軍使の〕ことばつきがへりくだっていて守備を増強しているようなのは、進撃の準備である。ことばつきが強行で進攻してくるようなのは、退却の準備である。戦闘用の軽車を前に出して軍の両横を備えているのは、陣立てをしているのである。ゆきづまった情況もないのに講和を願ってくるのは、陰謀があるのである。いそがしく走るまわって兵士を整列させているのは、決戦の準備である。〔敵の部隊の〕半分が進み半分が退いて〔統率がとれていないようで〕あるのは、こちらに誘いをかけているのである。
9-8
杖而立者、飢也。汲而先飲者、渇也。見利而不進者、勞也。鳥集者、虚也。夜呼者、恐也。軍擾者、將不重也。旌旗動者、亂也。吏怒者、倦也。粟馬肉食、軍無懸フ、不返其舍者、窮寇也、諄諄翕翕、徐與人言者、失衆也、數賞者、窘也。數罰者、困也、先暴而後畏其衆者、不精之至也。來委謝者、欲休息也。兵怒而相迎、久而不合、又不相去、必謹察之。
杖[つえつ]きて立つ者は飢うるなり。汲みて先ず飲む者は渇するなり。利を見て進まざる者は労[つか]るるなり。鳥の集まる者は虚しきなり。夜呼ぶ者は恐るるなり。軍の擾[みだ]るる者は将の重からざるなり。旌旗[せいき]の動く者は乱るるなり。吏の怒る者は倦みたるなり。馬に粟[ぞく]して肉食し、軍に懸ふ[卸−卩+瓦]なくして其の舎に返らざる者は窮寇なり。
 諄々翕々[じゅんじゅんきゅうきゅう]として徐[おもむろ]に人と言[かた]る者は衆を失うなり。数々[しばしば]賞する者は窘[くる]しむなり。数々罰する者は困[つか]るるなり。先きに暴にして後に其の衆を畏るる者は不精の至りなり。来たりて委謝する者は休息を欲するなり。兵怒りて相い迎え、久しくして合わず、又た解き去らざるは、必らず謹しみてこれを察せよ 。
 〔兵士が〕杖に頼って立っているのは〔その軍が〕飢えて〔弱って〕いるのである。〔水汲みが〕水を汲んでまっ先に飲むというのは〔その軍が〕飲料にかつえているのである。利益を認めながら進撃して来ないのは疲労しているのである。鳥がたくさん止まっているのは〔その陣所に〕人がいないのである。夜に呼び叫ぶ声がするのは〔その軍がおくびょうで〕こわがっているのである。軍営のさわがしいのは将軍にいげんがないのである。旗が動揺しているのはその備えが乱れたのである。役人が腹をたてているのは〔その軍が〕くたびれているのである。馬に兵糧米を食べさせ、兵士に肉食させ、軍の鍋釜の類はみなうちこわして。その幕舎に帰ろうともしないのは、ゆきづまっ〔てしにものぐるいになっ〕た敵である。
 〔上官が〕ねんごろにおずおずともの静かに兵士たちと話しをしているのは、みんなの心が離れているのである。しきりに賞を与えているのは〔その軍の士気がふるわなくて〕困っているのである。しきりに罰しているのは〔その軍が〕つかれているのである。はじめは乱暴にあつかっておきながら後にはその兵士たち〔の離反〕を恐れるというのは、考えのゆきとどかない極みである。わざわざやって来て贈り物を捧げてあやまるというのは、しばらく軍を休めたいのである。敵軍がいきりたって向かってきながら、しばらくしても合戦せず、また撤退もしないのは、必ず慎重に観察せよ。
9-9
兵非貴益多、雖無武進、足以併力料敵取人而已。夫唯無慮而易敵者、必擒於人。卒未親附而罰之、則不服、不服則難用。卒已親附而罰不行、則不可用。故令之以文、齊之以武、是謂必取。令素行以教其民、則民服。令不素行以教其民、則民不服。令素行者、與衆相得也。
兵は多きを益ありとするに非ざるなり。惟だ武進することなく、力を併わせて敵を料[はか]らば、以て人を取るに足らんのみ。夫れ惟だ慮[おもんぱか]り無くして敵を易[あなど]る者は、必らず人に擒にせらる。
 卒未だ親附せざるに而もこれを罰すれば、則ち服せず。服せざれば則ち用い難きなり。卒已[すで]に親附せるに而も罰行なわれざれば、則ち用うべからざるなり。故にこれを合するに文を以てし、これを斉[ととの]うるに武を以てする、是れを必取と謂う。
 令 素[もと]より行なわれて、以て其の民を教うれば則ち民服す。令 素より行なわれずして、以て其の民を教うれば則ち民服せず。令の素より信なる者は衆と相い得るなり。
 戦争は兵員が多いほどよいというものではない。ただ猛進しないようにして、わが戦力を集中して敵情を考え図っていくなら、十分に勝利を収めることができよう。そもそも良く考えることもしないで敵を侮っている者は、きっと敵の捕虜にされるであろう。
 兵士たちがまだ〔将軍に〕親しみなついていないので懲罰を行うと彼らは心服せず、心服しないと働かせにくい。〔ところがまた〕兵士たちがもう親しみなついているのに懲罰を行わないでいると〔威令がふるわず〕彼らを働かせることはできない。だから〔軍隊では〕恩徳でなつけて刑罰で統制するのであって、これを必勝〔の軍〕というのである。
 法令が平生からよく守られていて、それで兵士たちに命令するのなら兵士たちは服従するが、法令が平生からよく守られていないのに、それで兵士たちに命令するのでは兵士たちは服従しない。法令が平生から誠実なものは、民衆とぴったり心が一つになっているのである。


10 地形篇
    計篇第一で「三に曰く地、」といったその土地の形状についてのべる。
10-1
孫子曰、地形有通者、有掛者、有支者、有隘者、有險者、有遠者。我可以往、彼可以來、曰通。通形者、先居高陽、利糧道以戰、則利。可以往、難以返、曰掛。掛形者、敵無備、出而勝之。敵若有備、出而不勝、難以返、不利。我出而不利、彼出而不利、曰支。支形者、敵雖利我、我無出也。引而去之、令敵半出而撃之、利。隘形者、我先居之、必盈之以待敵。若敵先居之、盈而勿從、不盈而從之。險形者、我先居之、必居高陽以待敵。若敵先居之、引而去之、勿從也。遠形者、勢均、難以挑戰、戰而不利。凡此六者、地之道也、將之至任、不可不察也。
 孫子曰わく、地形には、通ずる者あり、挂[さまた]ぐる者あり、支[わか]るる者あり、隘[せま]き者あり、険なる者あり、遠き者あり。
 我れ以て往くべく疲れ以て来たるべきは曰[すなわ]ち通ずるなり。通ずる形には、先ず高陽に居り、糧道を利して以て戦えば、則ち利あり。以て往くべきも以て返り難きは曰ち挂ぐるなり。挂ぐる形には、敵に備え無ければ出でてこれに勝ち、敵若し備え有れば出でて勝たず、以て返り難くして不利なり。我れ出でて不利、彼れも出でて不利なるは、曰ち支るるなり。支るる形には、敵 我れを利すと雖も、我れ出ずること無かれ。引きてこれを去り、敵をして半ば出でしめてこれを撃つは利なり。
 隘き形には、我れ先ずこれに居れば、必らずこれを盈たして以て敵を待つ。若し敵先ずこれに居り、盈つれば而ち従うこと勿かれ、盈たざれば而ちこれに従え。険なる形には、我れ先ずこれに居れば、必ず高陽に居りて以て敵を待つ。若し敵先ずこれに居れば、引きてこれを去りて従うこと勿かれ。遠き形には、勢い均しければ以て戦いを挑み難く、戦えば而ち不利なり。
 凡そこの六者は地の道なり。将の至任にして察せざるべからざるなり。
 孫子はいう。土地の形状には、通じ開けたのがあり、障害のあるのがあり、こまかい枝道に分かれたのがあり、せまいのがあり、けわしいのがあり、遠いのがある。
こちらからも往けるし、あちらからも来れる〔ような、何の障害もない〕のは通じ開けたものである。通じ開けた地形の土地では、敵よりも先に高みの日当たりの良い場所を占めて、兵量補給の道を絶たれぬようにして、戦うと有利である。往くのはやさしいが帰るのがむつかしいのは障害のある土地である。障害のある地形では、敵に備えないときには出ていって勝てるが、もし敵に備えのあるときには出て行っても勝てず、戻ってくるのもむつかしくて不利である。こちらが出て行っても不利であるし、あちらが出て来ても不利なのは枝道にわかれたものである。枝道に分かれた地形の土地では、敵がこちらに利益のあることを見せたとしてもこちらで出て行ってはならない。〔むしろ〕軍を引いてその場を去り、敵に半分ほど出て来させてから攻撃するのが有利である。
 〔両側の山がせまった細い谷間の〕せまい地形の土地では、こちらが咲きにその場を占めれば、必ず兵士を集めて敵のやって来るのを待つべきである。もし敵が先にその場を占めれば、必ず兵士を集めて敵のやって来るのを待つべきである。もし敵が先にその場を占めていれば、敵兵が集まっているときにはそこへかかって行ってはならず、敵兵が集まっていないときにはかかっていってよい。けわしい地形の土地では、こちらが先にその場を占めて、必ず高みの日当たりの良い所に居て敵のやって来るのを待つべきである。もし敵が先にその場を占めていれば、軍を引いてそこを立ち去り、かかって行ってはならない。両軍の陣所が遠くへだたった土地では、軍の威力がひとしいときには戦をしかけるのはむつかしく、戦をかければ不利である。 
 すべてこれら六つのことは、土地〔の形〕についての道理である。将軍の最も重大な責務として十分に考えなければならないことであある。
10-2
故兵有走者、有弛者、有陷者、有崩者、有亂者、有北者。凡此六者、非天地之災、將之過也。夫勢均、以一撃十、曰走。卒強吏弱、曰弛。吏強卒弱、曰陷。大吏怒而不服、遇敵ウラミ而自戰、將不知其能、曰崩。將弱不嚴、教道不明、吏卒無常、陳兵縱、曰亂。將不能料敵、以少合衆、以弱撃強、兵無選鋒、曰北。凡此六者、敗之道也、將之至任、不可不察也。
 故に、兵には、走る者あり、弛む者あり、陥る者あり、崩るる者あり、乱るる者あり、北[に]ぐる者あり。凡そ此の六者は天の災に非ず、将の過ちなり。
 夫れ勢い均しきとき、一を以て十を撃つは曰ち走るなり。卒の強くして吏の弱気は曰ち弛むなり。吏の強くして卒の弱きは曰ち陥るなり。大吏怒りて服せず、敵に遭えばうら[對心]みて自ら戦い、将は其の能を知らざるは、曰ち崩るるなり。将の弱くして敵ならず、教道も明らかならずして、吏卒は常なく兵を陳[つら]ぬること縦横[しょうおう]なるは、曰ち乱るるなり。将 敵を料ること能わず、小を以て衆に合い、弱を以て強を撃ち、兵に選鋒なきは、曰ち北ぐるなり。
凡そこの六者は敗の道なり。将の至任にして察せざるべからざるなり。
 そこで軍隊には、逃亡するのがあり、ゆるむのがあり、落ちこむのがあり、崩れるのがあり、乱れるのがあり、負けて逃げるのがある。すべてこれらの六つのことは、自然の災害でなく、将軍たる者の過失によるのである。
 そもそも軍の威力がどちらもひとしいときに十倍も多い敵を攻撃させるのは、〔戦うまでもなく〕身方の兵を逃げ散らせることである。兵士たちの実力が強くてとりしまる軍吏の弱いのは、軍をゆるませることである。とりしまりの軍吏が強くて兵士の弱いのは、軍を落ちこませることである。軍吏の長官が怒って〔将軍の命令に〕服従せず、敵に遭遇しても怨み心を抱いて自分かってな戦をし、将軍はまた彼の能力を知らないというのは、軍をつきくずすことである。将軍が軟弱で厳しさがなく、軍令もはっきりしないで、軍吏や兵士たちにもきまりがなく、陣立てもでたらめなのは、乱れさせることである。将軍が敵情を考えはかることができず、小勢で大勢の敵と合戦し、弱勢で強い敵を攻撃して、軍隊の先鋒に選びすぐった勇士もいないのは、負けて逃げさせることである。
 すべてこれら六つのことは、敗北〔の情況〕についての道理である。将軍の最も重大な責務として十分に考えなければならないことである。
10-3
夫地形者、兵之助也。料敵制勝、計險阨・遠近、上將之道也。知此而用戰者必勝。不知此而用戰者必敗。故戰道必勝、主曰無戰、必戰可也。戰道不勝、主曰必戰、無戰可也。故進不求名、退不避罪、唯民是保、而利於主、國之寶也。
 夫れ地形は兵の助けなり。敵を料って勝を制し、険夷・遠近を計るは、上将の道なり。此れを知りて戦いを用[おこ]なう者は必らず勝ち、此れを知らずして戦いを用なう者は必らず敗る。
 故に戦道必らず勝たば、主は戦う無かれと曰うとも必らず戦いて可なり。戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも戦う無くして可なり。故に進んで名を求めず、退いて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて而して利の主に合うは、国の宝なり。
 そもそも土地のありさまというものは、戦争のための補助である。敵情をはかり考えて勝算をたて、土地がけわしいか平坦か遠いか近いか検討「してそれに応じた作戦を〕するのが、総大将の仕事である。こういうことをわきまえて戦をする者は必ず勝つが、こういうことをわきまえないで戦をする者は必ず負ける。
 そこで、合戦の道理としてこちらに十分の勝めのあるときは、主君が戦ってはならないといっても、むりにおしきって戦うのが宜しく、〔逆に〕合戦の道理として勝てないときには、主君がぜひとも戦えといっても、戦わないのが宜しい。だから、功名を求めないで〔進むべきときに〕進み、罪にふれることをも恐れないで〔退くべきときに〕退いて、ひたすら人民を大切にしたうえで、主君の利益にも合うという将軍は、国家の宝である。
10-4
視卒如嬰兒、故可與之赴深谿。視卒如愛子、故可與之倶死。愛而不能令、厚而不能使、亂而不能治、譬若驕子、不可用也。
 卒を視ること嬰児の如し、故にこれと深谿に赴むくべし。卒を視ること愛子の如し、故にこれと倶に死すべし。厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて治むること能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。  〔将軍が兵士を治めていくのに、〕兵士たちを赤ん坊のように見て〔万事に気をつけていたわって〕いくと、それによって兵士たちといっしょに深い谷底〔危険な土地〕にもいけるようになる。兵士たちをかわいいわが子のように見て〔深い愛情で接して〕いくと、それによって兵士たちと生死をともにできるようになる。〔だが、愛していたわるのはよいとして、〕もし手厚くするだけで仕事をさせることができず、かわいがるばかりで命令することもできず、でたらめをしていてもそれを止めることもできないのでは、たとえてみれば驕り高ぶった子供のようなもので、ものの用にはたたない。
10-5
知吾卒之可以撃、而不知敵之不可撃、勝之半也。知敵之可撃、而不知吾卒之不可撃、勝之半也。知敵之可撃、知吾卒之可以撃、而不知地形之不可以戰、勝之半也。故知兵者、動而不迷、舉而不窮。故曰、知彼知己、勝乃不殆。知天知地、勝乃可全。
 吾が卒の以て撃つべきを知るも、而も敵の撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知るも、而も吾が卒の以て撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知り吾が卒の以て撃つべきを知るも、而も地形の以て戦うべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。
 故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。故に曰わく、彼れを知りて己れを知れば、勝 乃ち殆[あや]うからず。地を知りて天を知れば、勝 乃ち全うすべし。
 身方の兵士に敵を攻撃して勝利を収める力のあることはわかっても、敵のほうに〔備えがあって〕攻撃してはならない情況もあることを知っていなければ、必ず勝つとはかぎらない。敵に〔すきがあって〕攻撃できることが分かり、身方の兵士にも敵を攻撃する力のあることは分かっても、土地のありさまが戦ってはならない情況であることを知るのでなければ、必ず勝つとはかぎらない。
 だから戦争のことに通じた人は、〔敵のことも、身方のことも、土地のありさまも、よく分かったうえで行動を起こすから、〕軍を動かして迷いがなく、合戦しても苦しむことがない。だから、〔敵情を知って身方の事情も知っておれば、そこで勝利にゆるぎが無く、土地のことを知って自然界のめぐりのことも知っておれば、そこでいつでも勝てる。〕といわれるのである。


11 九地篇
    九とおりの土地の形勢とそれに応じた対処についてのべる。
11-1
孫子曰、用兵之法、有散地、有輕地、有爭地、有交地、有衢地、有重地、有ヒ地、有圍地、有死地。諸侯自戰其地者、爲散地。入人之地而不深者、爲輕地。我得亦利、彼得亦利者、爲爭地。我可以往、彼可以來者、爲交地。諸侯之地三屬、先至而得天下之衆者、爲衢地。入人之地深、背城邑多者、爲重地。山林、險阻、沮澤、凡難行之道者、爲ヒ地。所由入者隘、所從歸者迂、彼寡可以撃吾之衆者、爲圍地。疾戰則存、不疾戰則亡者、爲死地。是故散地則無戰、輕地則無止、爭地則無攻、交地則無絶、衢地則合交、重地則掠、ヒ地則行、圍地則謀、死地則戰。
孫子曰わく、兵を用うるには、散地あり、軽地あり、争地あり、交地あり、衢[く]地あり、重地あり、ひ[土己]地あり、囲地あり、死地あり。
 諸侯自ら其の地に戦う者を、散地と為す。
 人の地に入りて深からざる者を、軽地と為す。
 我れ得たるも亦た利、彼得るも亦た利なる者を、争地と為す。
 我れ以て往くべく、彼れ以て来たるべき者を、交地と為す。
 諸侯の地四属し、先ず至って天下の衆を得る者を、衢地と為す。
 人の地に入ること深く、城邑に背くこと多き者を、重地と為す。
 山林・険阻・沮沢、凡そ行き難きの道なる者を、[土己]地と為す。
 由りて入る所のもの隘く、従って帰る所のもの迂にして、彼れ寡にして以て吾の衆を撃つべき者を、囲地と為す。
 疾戦すれば則ち存し、疾戦せざれば則ち亡ぶ者を、死地と為す。
 是の故に、散地には則ち戦うこと無く、軽地には則ち止まること無く、争地には則ち攻むること無く、交地には則ち絶つこと無く、衢地には則ち交を合わせ、重地には則ち掠め、[土己]地には則ち行き、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。
 孫子はいう。戦争の原則としては・散地(軍の逃げ散る土地)があり、軽地(軍の浮き立つ土地)があり、争地(敵と奪い合う土地)があり、交地(往来の便利な土地)があり、衢地(四通八達の中心地)がり、重地(重要な土地)があり、ひ[土己]地(軍を進めにくい土地)があり、囲地(囲まれた土地)があり、死地(死すべき土地)がある。
 諸侯が自分の国土の中で戦うというのが散地である。敵の土地に入ってまだ遠くないというのが軽地である。身方が取ったら身方に有利、敵が取ったら敵に有利というのが争地である。こちらが〔往こうと思えば〕往けるしあちらも〔来ようと思えば〕来られるというのが、交地である。諸侯の国々が四方につづいていて、先にそこにゆきつけば〔その諸侯の助けを得て〕天下万民の支援も得られるというのが、衢地(くち)である。敵の土地に深く入りこんですでに敵の城や村をたくさん背后に持っているというのが、重地である。山林やけわしい地形や沼沢地などを通っていて、およそ軍をおし進めるのに難しい道なのが、ヒ地である。通って入っていく道はせまく、引き返して戻る道は曲りくねって遠く、敵が小勢でもわが大軍を攻撃できるというのが、囲地である。力の限り戦わなければ滅亡するというのが、死地である。
 こういうわけで、散地ならば戦ってはならず、軽地ならぐずぐず止まってはならず。争地ならば〔先に奪い取れなかったときは〕攻撃してはならず、交地ならば〔寸断されないために〕隊列を切り離してはならず、衢地ならば諸侯たちと外交を結び、重地ならば〔食料を得るために〕略奪し、ヒ地ならば〔ぐずぐずせずに通り過ぎ、囲地ならば奇謀をめぐらし、死地ならば激戦すべきである。
11-2
古之善用兵者、能使敵人前後不相及、衆寡不相恃、貴賤不相救、上下不相收、卒離而不集、兵合而不齊。合於利而動、不合於利而止。
 古えの善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相い及ばず、衆寡相い恃まず、貴賎相い救わず、上下相い扶けず、卒離れて集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる。  むかしの戦争の上手な人というものは、敵軍に前軍と後軍との連絡ができないようにさせ、大部隊と小部隊とが助け合えないようにさせ、身分の高い者と低い者とが互いに救いあわず、上下の者が互いに助け合わないようにさせ、兵士たちが離散して集合せず、集合しても整わないようにさせた。〔こうして〕身方に有利な情況になれば行動を起こし、有利にならなければまたの機会を待ったのである。
11-3
敢問、敵衆整而將來、待之若何。曰、先奪其所愛、則聽矣兵之情主速、乘人之不及、由不虞之道、攻其所不戒也。
 敢えて問う、敵 衆整にして将[まさ]に来たらんとす。これを待つこと若何。曰わく、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情は速を主とす。人の及ばざるに乗じて不虞の道に由り、其の戒めざる所を攻むるなりと。  おたずねしたいが、敵が秩序だった大軍でこちらを攻めようとしている時には、どのようにしてそれに対処したらよかろうか。答え。あいてに先んじて敵の大切にしているものを奪取すれば、敵はこちらの思いどおりになるであろう。戦争の実情は迅速が第一。敵の配備がまだ終らない隙をついて思いがない方法を使い、敵が警戒していない所を攻撃することである。
11-4
凡爲客之道、深入則專、主人不克。掠於饒野、三軍足食。謹養而勿勞、并氣積力。運兵計謀、爲不可測。投之無所往、死且不北、死焉不得、士人盡力。兵士甚陷則不懼、無所往則固、入深則拘、不得已則。是故、其兵不修而戒、不求而得、不約而親、不令而信。禁祥去疑、至死無所之。吾士無餘財、非惡貨也。無餘命、非惡壽也。令發之日、士卒坐者、涕霑襟、偃臥者、涕交頤。投之無所往者、諸カイ之勇也。
 凡そ客たるの道、深く入れば則ち専らにして主人克たず。饒野に掠むれば三軍も食に足る。謹め養いて労すること勿く、気を併わせ力を積み、兵を運らして計謀し、測るべからざるを為し、これを往く所なきに投ずれば、死すとも且[は]た北[に]げず。死焉[いずく]んぞ得ざらん、士人 力を尽す。
 兵士は甚だしく陥れば則ち懼れず、往く所なければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。是の故に其の兵、修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。祥を禁じ疑いを去らば、死に至るまで之[ゆ]く所なし。吾が士に余財なきも貨を悪[にく]むには非ざるなり。余命なきも寿を悪むには非ざるなり。
 令の発するの日、士卒の坐する者は涕[なみだ] 襟を霑[うるお]し、偃[えん]臥する者は涕 頤[あご]に交わる。これを往く所なきに投ずれば、諸・かい[歳リ]の勇なり。
 およそ敵国に進撃したばあいのやり方としては、深くその国内に入〔りこんで重地を占め〕れば身方は団結し、あいては〔散地となって〕対抗できず、それで物資の豊かな地方を略奪すれば軍隊の食料も十分になる。そこでよく兵士たちを保養して疲れさせないようにして、士気を高め戦力をたくわえ、軍を動かして策謀をめぐらし、〔その態勢を敵からは〕はかり知れないようにして、〔さてそのうえで、〕軍をどこへも行き場のない情況の中に投入すれば、死んでも敗走することがない。決死の覚悟がどうして得られないことがあろう。士卒とともに力いっぱい戦うのだ。
 兵士はあまりにも危険な立場におちこんだ時にはそれを恐れず、行き場がなくなった時には心も固まり、深く入りこんだ時には団結し、戦わないではおられなくなった時には戦う。だからそういう〔苦難におちこんだ〕軍隊は〔指揮官が〕ととのえなくともよく戒慎し、求めなくとも力戦し、拘束せずとも親しみあい、法令を定めなくとも誠実である。〔そしてそういう軍隊に起こりがちな〕あやしげな占いごとを禁止して疑惑のないようにすれば、死ぬまで心を外に外に移すことがない。わが兵士たちに余った財物が無く〔みな焼却」するのは物資を嫌ってそうするのではない。残った生命を投げ出すのは長生きを嫌ってそうするのではない。〔やむにやまれず決戦するためである。〕 
 決戦の命令が発せられた日には、士卒〔はみな悲憤こう概してそ〕の座っている者は涙で襟をうるおし、横に座っている者は涙で顔中をぬらすが、こういう士卒をほかに行き場の無い情況の中に投入すれば、みな〔あの有名な〕専諸や曹カイのように勇敢になるのである。
11-5
故善用兵者、譬如率然。率然者、常山之蛇也。撃其首則尾至、撃其尾則首至、撃其中則首尾倶至。敢問、可使如率然乎。曰、可。夫呉人與越人相惡也、當其同舟濟而遇風、其相救也如左右手。是故方馬埋輪、未足恃也。齊勇若一、政之道也。剛柔皆得、地之理也。故善用兵者、攜手若使一人、不得已也。
 故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。率然とは常山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。
 敢えて問う、兵は率然の如くならしむべきか。
 曰わく可なり。夫れ呉人と越人との相い悪むや、其の舟を同じくして済[わた]りて風に遭うに当たりては、其の相い救うや左右の手の如し。是の故に馬を方[つな]ぎて輪を埋むるとも、未だ恃むに足らざるなり。勇を斉[ととの]えて一の若くにするは政の道なり。剛柔皆な得るは地の理なり。故に善く兵を用うる者、手を攜[たずさ]うるが若くにして一なるは、人をして已むを得ざらしむるなり。
そこで戦争の上手な人は、たとえば卒然のようなものである。卒然というのは常山にいる蛇のことである。その頭を打つと尾が助けに来るし、その尾を撃つと頭が助けに来るし、その腹を攻撃すると頭と尾とでいっしょにかかって来る。
 「おたずねしたいが、軍隊はこの卒然のようにならせることができようか。」というなら「できる。」と答える。そもそも呉の国の人と越の国の人とは互いに憎しみあう中であるが、それでも一緒に同じ舟に乗って川を渡り、途中で大風にあったばあいには、彼らは左手と右手との関係のように密接に助け合うものである。〔卒然のようにならせるには、このようにそうした条件が必要である。〕こういうわけで、馬を繋ぎとめ車輪を土に埋め〔て陣固めをし〕てみても決して十分に頼りになるものではない。軍隊を〔勇者も怯者も〕ひとしく勇敢に整えるのは、その治め方−−号令法度などの運用のしかた−−によることである。剛強な者も柔弱な者もひとしく十分のはたらきをするのは、土地の〔形勢の〕道理によることである。だから、戦争の上手な人が、軍隊をまるで手をつないでいるかのように一体に−−すなわち卒然にように−−ならせるのは、兵士たちを、戦うより外にどうしようもないよう〔な条件の中におら〕せるからである。
11-6
將軍之事、静以幽、正以治。能愚士卒之耳目、使之無知。易其事、革其謀、使人無識。易其居、迂其途、使人不得慮。帥與之期、如登高而去其梯。帥與之深、入諸侯之地而發其機。若驅群羊、驅而往、驅而來、莫知所之。聚三軍之衆、投之於險、此將軍之事也。九地之變、屈伸之利、人情之理、不可不察也。
 将軍の事は、静かにして以て幽[ふか]く、正しくして以て治まる。能く士卒の耳目を愚にして、これをして知ること無からしむ。其の事を易[か]え、其の謀を革[あらた]め、人をして識ること無からしむ。其の居を易え其の途を迂にし、人をして慮ることを得ざらしむ。帥[ひき]いてこれと期すれば高きに登りて其の梯を去るが如く、深く諸侯の地に入りて其の機を発すれば群羊を駆るが若し。駆られて往き、駆られて来たるも、之[ゆ]く所を知る莫し。三軍の衆を聚めてこれを険に投ずるは、此れ将軍の事なり。九地の変、屈伸の利、人情の利は、察せざるべからざるなり。  将軍たる者の仕事はもの静かで奥深く、正大でよく整っている。士卒の耳目をうまくくらまして軍の計画をしらせないようにし、そのしわざをさまざまに変えその策謀を更新して人々におしはかられないようにする。軍隊を統率して任務を与えるときには、高い所へ登らせてからその梯をとり去るように〔戻りたくとも戻れず、ほかに行きばのないように〕し、深く外国の土地に入り込んで決戦を起こすときには、羊の群れを追いやるように〔兵士たちが従順に従うように〕する。追いやられてあちこちと往来するが、どこに向かっているかは誰にも分からない。全軍の大部隊を集めてそのすべてを〔決死の意気込みにするような〕危険な土地に投入する、それが将軍たる者の仕事である。九とおりの土地の形勢に応じた変化、情況によって軍を屈伸させることの利害、そして人情の自然な道理〔の三者〕については、十分に考えなければならない。
11-7
凡爲客之道、深則專、淺則散。去國越境而師者、絶地也。四達者、衢地也。入深者、重地也。入淺者、輕地也。背固前隘者、圍地也。無所往者、死地也。是故散地、吾將一其志。輕地、吾將使之屬。爭地、吾將趨其後。交地、吾將謹其守。衢地、吾將固其結。重地、吾將繼其食。ヒ地、吾將進其途。圍地、吾將塞其闕。死地、吾將示之以不活。故兵之情、圍則禦、不得已則、過則從。
 凡そ客たるの道は、深ければ則ち専らに、浅ければ則ち散ず。国を去り境を越えて師ある者は絶地なり。四達する者は衢地なり。入ること深き者は重地なり。入ること浅き者は軽地なり。背は固にして前は隘なる者は囲地なり。往く所なき者は死地なり。
 是の故に散地には吾れ将[まさ]に其の志を一にせんとす。軽地には吾れ将にこれをして属[つづ]かしめんとす。争地には吾れ将に其の後を趨[うなが]さんとす。交地には吾れ将に其の守りを謹しまんとす。衢地には吾れ将に其の結びを固くせんとす。重地には吾れ将に其の食を継がんとす。[土己]地には吾れ将に其の塗[みち]を進めんとす。囲地には吾れ将に其の闕[けつ]を塞がんとす。死地には吾れ将にこれに示すに活[い]きざるを以てせんとす。故に兵の情は、囲まるれば則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。
 およそ敵国に進撃したばあいのやり方としては、深く入り込めば団結するが浅ければ逃げ散るのものである。本国を去り国境を越えて軍を進めたところは絶地である。〔絶地の中では〕四方に通ずる中心地が衢地であり、深く進入したところが重地であり、少し入っただけの地が軽地であり、背後がけわしくて前方がせまいのが囲地であり、行き場のないのが死地である。
 こういうわけで、敵地ならば〔兵士たちが離散しやすいから、〕自分は兵士たちの心を統一しようとする。軽地ならば〔軍が浮ついているから、〕自分は軍隊を〔離れないように〕連続させようとする。争地ならば〔先に得たものが有利であるから、〕自分は後れている部隊を急がせようとする。交地ならば〔通じ開けているから、〕自分は守備を厳重にしようとする。衢地ならば〔諸侯たちの中心地であるから、〕自分は同盟を固めようとする。重地ならば〔敵地の奥深くであるから、〕自分は軍の食料を絶やさないようにする。ヒ地ならば〔行動が困難であるから、〕早く行き過ぎようとする。囲地ならば〔逃げ道があけられているものであるから、繊維を強固にするために〕自分はその逃げ道をふさごうとする。死地ならば〔力いっぱい戦わなければ滅亡するのだから、〕自分は軍隊にとても生き延びられないことを認識させようとする。そこで、兵士たちの心としては、囲まれたなら〔命ぜられなくとも〕抵抗するし、戦わないでおれなくなれば激闘するし、あまりにも危険であれば従順になる。
11-8
是故不知諸侯之謀者、不能豫交。不知山林・險阻・沮澤之形者、不能行軍。不用郷導者、不能得地利。四五者一不知、非霸王之兵也。夫霸王之兵、伐大國、則其衆不得聚。威加於敵、則其交不得合。是故不爭天下之交、不養天下之權、信己之私、威加於敵、故其城可拔、其國可堕。施無法之賞、懸無政之令、犯三軍之衆、若使一人。犯之以事、勿告以言。犯之以利、勿告以害。投之亡地然後存、陷之死地然後生。夫衆陷於害、然後能爲勝敗。
 是の故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行[や]ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。此の三者、一を知らざれば、覇王の兵には非ざるなり。夫れ覇王の兵、大国を伐つときは則ち其の衆 聚まることを得ず、威 敵に加わるときは則ち其の交 合することを得ず。是の故に天下の交を争わず、天下の権を養わず、己れの私を信[の]べて、威は敵に加わる。故に其の城は抜くべく、其の国は堕[やぶ]るべし。無法の賞を施し、無政の令を懸くれば、三軍の衆を犯[もち]うること一人を使うが若し。これを犯うるに事を以てして、告ぐるに言を以てすること勿かれ。これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて然る後に能く勝敗を為す。  そこで、諸侯たちの腹の内が分からないのでは、前もって同盟することができず、山林やけわしい地形や沼沢地などの地形がわからないのでは、軍隊を進めることはできず、その土地にくわしい案内役を使えないのでは、地形の利益を収めることはできない。これら三つのことは、その一つでも知らないのでは覇王の軍ではない。
 そもそも覇王の軍は、もし大国を討伐すればその大国の大部隊もばらばらになって集合することができず、もし威勢が敵国を蔽えばその敵国は〔孤立して〕他国と同盟することができない。こういうわけで、天下の国々との同盟に努めることをせず、また天下の権力を〔自分の身に〕積み上げることもしないでも、自分の思いどおり勝手にふるまっていて威勢は敵国を蔽っていく。だから敵の城も落とせるし、敵の国も破れるのである。
 ふつうのきまりを越えた重賞を施し、ふつうの定めにこだわらない禁令を掲げるなら、全軍の大部隊を働かせることもただの一人を使うようなものである。軍隊を働かせるのは任務を与えるだけにして、その理由を説明してはならず、軍隊を働かせるのは有利なことだけを知らせて、その害になることを告げてはならない。〔だれにも知られずに、〕軍隊を滅亡すべき情況に投げ入れてこそ初めて滅亡を免れ、死すべき情況におとしいれてこそ始めて生き延びるのである。そもそも兵士たちは、そうした危機に落いってこそ、始めて勝敗を自由にすることができるものである。
11-9
故爲兵之事、在順詳敵之意、并敵一向、千里殺將、是謂巧能成事。是故政舉之日、夷關折符、無通其使、脂利L廟之上、以誅其事、敵人開闔、必亟入之、先其所愛、微與之期、踐墨隨敵、以決戰事。是故始如處女、敵人開戸。後如脱兔、敵不及拒。
 故に兵を為すの事は、敵の意を順詳するに在り。并一にして敵に向かい、千里にして将を殺す、此れを巧みに能く事を成す者と謂うなり。是の故に政の挙なわるるの日は、関を夷[とど]め符を折[くだ]きて其の使を通ずること無く、廊廟の上にきび[厂艸属]しくして以て其の事を誅[せ]む。敵人開闔[かいこう]すれば必らず亟[すみや]かにこれに入り、其の愛する所を先きにして微[ひそ]かにこれと期し、践墨[せんもく]して敵に随[したが]いて以て戦事を決す。是の故に始めは処女の如くにして、敵人 戸を開き、後は脱兎の如くにして、敵人 拒ぐに及ばず。  そこで、戦争をおこなううえでの大切な事は、敵の意図を十分に把握することである。敵の意図をのみこんで直進し、千里のかなたでその将軍をうちとる、それを巧妙にうまく戦争を成し遂げたというのである。
 こういうわけで、いよいよ開戦となったときには、敵国との関門を封鎖し旅券を廃止して使節の往来を止めてしまい、朝廷・宗廟の堂上で厳粛に〔審議し廟算〕してその軍事をはかり求める。そして、もし敵の方に動揺したすきが見えれば必ず迅速に侵入し、敵の大切にしているところを第一の攻撃目標としてひそかにそれと心に定め、だまったまま敵情に応じて行動しながら、ついに一戦して勝敗を決するのである。こういうわけで、はじめには処女のように〔もの静かに〕していると敵の国では油断してすきを見せ、その後、脱走する兎のように〔するどく攻撃〕すると、敵のほうではとても防ぎきれないのである。


12 火攻篇
    火を使って攻撃することについてのべる。
12-1
孫子曰、凡火攻有五。一曰火人、二曰火積、三曰火輜、四曰火庫、五曰火隊。行火必有因、煙火必素具。發火有時、起火有日。時者、天之燥也。日者、月在箕壁翼軫也。凡此四宿者、風起之日也。
 孫子曰わく、凡そ火攻に五あり。一に曰わく火人、二に曰わく火積、三に曰わく火輜、四に曰わく火庫、五に曰わく火隊。火を行なうには必ず因あり、火をと[火票]ばすには必ず素より具[そな]う。火を発するに時あり、火を起こすに日あり。時とは天の燥[かわ]けるなり。日とは宿の箕・壁・翼・軫に在るなり。凡そ此の四宿の者は風の起こるの日なり。  孫子はいう。およそ火攻めには五とおりある。第一は火人(兵営の兵士を焼き撃ちすること)、第二は火積(かし)(兵糧の貯蔵所を焼くこと)、第三は火輜(かし)(武器や軍装の運搬中に火をかけること)、第四は火庫(財貨器物の倉庫を焼くこと)、第五に火墜(かつい)(橋などの行路に火をかけること)。火を使うには条件が必要で、その条件は必ず事前にじゅうぶんに整える。火攻めをはじめるには、適当な時があり、火攻めを盛んにするには適当な日がある。時というのは天気の乾燥した時のことである。日というのは月が天体の箕(き)・壁(へき)・翼(よく)・軫(しん)の分野に入る日のことである。およそ月がこれらの四宿にあるときが風の起こる日である。
※箕・壁・翼・軫は太陽の通る赤道を二十八に区分し二十八宿の中の四宿星で、和名「み」(東北方)、「なまめ」(西北方)、「たすき」(東南方)、「みつうち」(東南方)にあたる。そこに月が入る日のこと。
12-2
凡火攻、必因五火之變而應之。火發於内、則早應之於外。火發而其兵静者、待而勿攻。極其火力、可從而從之、不可從而止。火可發於外、無待於内、以時發之。火發上風、無攻下風、晝風久、夜風止。凡軍必知五火之變、以數守之。
 凡そ火攻は、必ず五火の変に因りてこれに応ず。火の内に発するときは則ち早くこれに外に応ず。火の発して其の兵の静かなる者は、待ちて攻むること勿く、其の火力を極めて、従うべくしてこれに従い、従うべからざるして止む。火 外より発すべくんば、内に待つことなく、時を以てこれを発す。火 上風に発すれば、下風を攻むること無かれ。昼風は従い夜風は止む。  およそ火攻めには、必ず五とおりの火攻めの変化に従って、それに呼応して兵を出すのである。〔第一は身方の放火した〕火が敵の陣営の中で燃え出したときには、すばやくそれに呼応して外から兵をかける。〔第二に〕火が燃え出したのに敵軍が静かなばあいには、しばらく待つことにしてすぐに攻めてはならず、その火勢に任せて〔様子をうかがい、〕攻撃してよければ攻撃し、攻撃すべきでなければやめる。〔第三には〕火を外からかけるのに都合がよければ、陣営の中〔で放火するの〕を待たないで適当なときをみて火をかける。〔第四に〕風上から燃え出したときには風下から攻撃してはならない。〔第五には〕昼間の風が長くつづいたときは、夜の風には〔風が変わるから火攻めには〕やめる。およそ軍隊では必ず〔こうした〕五とおりの火攻めの変化があることをわきまえ、技術を用いてそれに対応した攻撃を行うのである。
12-3
故以火佐攻者明、以水佐攻者強、水可以絶、不可以奪。
 故に火を以て攻を佐[たす]くる者は明なり。水を以て攻を佐くる者は強なり。水は以て絶つべきも、以て奪うべからず。 そこで、火を攻撃の助けをするのは聡明〔な知恵〕によるが、水を攻撃の助けとするのは強大〔な兵力〕による。そして、水攻めは敵を遮断できるが、奪取することはできない。
12-4
夫戰勝攻取、而不修其功者凶、命曰費留。故曰、明主慮之、良將修之、非利不動、非得不用、非危不戰。主不可以怒而興師、將不可以慍而致戰。合於利而動、不合於利而止。怒可以復喜、慍可以復ス、亡國不可以復存、死者不可以復生。故明主慎之、良將警之、此安國全軍之道也。
 夫れ戦勝攻取して其の功を修めざる者は凶なり。命[なづ]けて費留と曰う。故に明主はこれを慮り、良将はこれを修め、利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず。主は怒りを以て師を興こすべからず。将は慍[いきどお]りを以て戦いを致すべからず。利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる。怒りは復た喜ぶべく、慍りは復た悦ぶべきも、亡国は復た存すべからず、死者は復た生くべからず。故に明主はこれを慎み、良将はこれを警[いまし]む。此れ国を安んじ軍を全うするの道なり。  そもそも戦って勝ち攻撃して奪取しながら、その戦果を収め整えない〔でむだな戦争をつづける〕のは不吉なことで、費留−−むだな費用をかけてぐずついている−−と名づけるのである。だから、聡明な君主はよく思慮し、立派な将軍はよく修め整えて、有利でなければ行動を起こさず、利得がなければ軍を用いず、危険がせまらなければ戦わない。君主は怒りにまかせて軍を興すべきでなく、将軍も憤激にまかせて合戦をはじめるべきでない。有利な情況であれば行動を起こし、有利な情況でなければやめるのである。怒りは〔解けて〕また喜ぶようになれるし、憤激も〔ほぐれて〕また愉快になれるが、〔一旦戦争してもし失敗したとなると、〕亡んだ国はもう一度たてなおしはできず、死んだ者は再び生き返ることはできない。だから聡明な君主は〔戦争については〕慎重にし、立派な将軍はいましめる。これが国家を安泰にし軍隊を保全するための方法である。


13 用間篇
    間は間諜のこと。敵情をうかがうスパイについてのべる。
13-1
孫子曰、凡興師十萬、出征千里、百姓之費、公家之奉、日費千金。内外騷動、怠於道路、不得操事者、七十萬家。相守數年、以爭一日之勝、而愛爵祿百金、不知敵之情者、不仁之至也、非人之將也、非主之佐也、非勝之主也。故明君賢將、所以動而勝人、成功出於衆者、先知也。先知者、不可取於鬼神、不可象於事、不可驗於度、必取於人、知敵之情者也。
 孫子曰わく、凡そ師を興こすこと十万、師を出だすこと千里なれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費し、内外騒動して事を操[と]るを得ざる者、七十万家。相い守ること数年にして、以て一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛んで敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将に非ざるなり。主の佐に非ざるなり。勝の主に非ざるなり。故に明主賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり。先知なる者は鬼神に取るべからず。事に象るべからず。度に験すべからず。必らず人に取りて敵の情を知る者なり。  孫子はいう。およそ十万の軍隊を起こして千里の外に出征することになれば、民衆の経費を公家(おかみ)の出費も一日に千金をも費やすことになり、国の内外ともに大騒ぎで農事にもはげめないものが七十万家もできることになる。そして数年間も対峙したうえで一日の決戦を争うのである。〔戦争とはこのように重大なことである。〕それにもかかわらず、爵位や俸禄や百金を与えることを惜しんで、敵情を知ろうとしないのは、不仁−−民衆を愛しあわれまないこと−−のはなはだしいものである。〔それでは〕人民を率いる将軍とはいえず、君主の補佐ともいえず、勝利の主ともいえない。
 だから、聡明な君主やすぐれた将軍が行動を起こして敵に勝ち、人なみはずれた成功を収めることができるのは、あらかじめ敵情を知ることによってである。あらかじめ知ることは、鬼神のおかげで−−祈ったり占ったりする神秘的な方法で−−できるのではなく、過去の出来事によって類推できるのでもなく、自然界の規律によってためしはかれるのでもない。必ず人−−特別な間諜−−に頼ってこそ敵の情況が知れるのである。
13-2
故用間有五。有因間、有内間、有反間、有死間、有生間。五間倶起、莫知其道、是謂神紀、人君之寶也。因間者、因其郷人而用之。内間者、因其官人而用之。反間者、因其敵間而用之。死間者、爲誑事於外、令吾間知之、而傳於敵間也。生間者、反報也。
 故に間を用うるに五あり。郷間あり。内間あり。反間あり。死間あり。生間あり。五間倶に起こって其の道を知ること莫し、是れを神紀と謂う。人君の宝なり。
 郷間なる者は其の郷人に因りてこれを用うるなり。内間なる者は其の官人に因りてこれを用うるなり。 反間なる者は其の敵間に因りてこれを用うるなり。死間なる者は誑[きょう]事を外に為し、吾が間をしてこれを知って敵に伝えしむるなり。生間なる者は反[かえ]り報ずるなり。
 そこで、間諜を働かせるのには五とおりがある。郷間−−村里の間諜−−があり、内間−−敵方からの内通の間諜−−があり、反間−−こちらのために働く敵の間諜−−があり、死間−−死ぬ間諜−−があり、生間−−生きて帰る間諜−−がある。この五とおりの間諜がともに活動していてその働きぶりが人にしられないというのが、神紀すなわちすぐれた用い方といわれることで、人君の珍重すべきことである。
 郷間というの敵の村里の人々を利用して働かせるのである。内間というのは敵の役人を利用して働かせるのである。反間というのは敵の間諜を利用して働かせるのである。死間というのは偽り事を外にあらわして身方の間諜にそれを知らせ〔て本当と思い込ませ、〕敵方に告げさせるのである。生間というのは〔そのつど〕帰って来て報告するのである。
13-3
故三軍之事、親莫親於間、賞莫厚於間、事莫密於間。非聖智不能用間、非仁義不能使間、非微妙不能得間之實。微哉微哉、無所不用間也。間事未發而先聞者、間與所告者皆死。
 故に三軍の親は間より親しきは莫く、賞は間より厚きは莫く、事は間より密なるは莫し。聖智に非ざれば間を用うること能わず、仁義に非ざれば間を使うこと能わず、微妙に非ざれば間の実を得ること能わず。微なるかな微なるかな、間を用いざる所なし。間事未だ発せざるに而も先ず聞こゆれば、其の間者と告ぐる所の者と、皆な死す。  そこで、全軍の中での親近さでは間諜が最も親しく、賞与では間諜のが最も厚く、仕事では間諜のが最も秘密を要する。聡明な思慮ぶかさがなかれば間諜を利用することができず、仁慈と正義がなければ間諜を使うことができず、はかりがたい微妙〔な心くばり〕がなければ間諜の〔情報の〕真実を把握することができない。微妙だ微妙だ、どんなことにも間諜は用いられるのである。〔そして、〕間諜の情報がまだ発表さらないうちに外から耳に入ることがあると、その〔情報をもたらした〕間諜とそのことを知らせてきた者とをともに死罪にするのである。
13-4
凡軍之所欲撃、城之所欲攻、人之所欲殺、必先知其守將、左右・謁者・門者・舍人之姓名、令吾間必索知之。
 凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必らず先ず其の守将・左右・謁者・門者・舎人の姓名を知り、吾が間をして必らず索[もと]めてこれを知らしむ。  およそ撃ちたいと思う軍隊や攻めたいと思う城や殺したいと思う人物については、必ずその官職を守る将軍や左右の近臣や奏聞者や門を守る者や宮中を守る役人の姓名をまず知って、身方や間諜に必ずさらに追求してそれらの人物のことを調べさせる。
13-5
必索敵間之來間我者、因而利之、導而舍之、故反間可得而使也。因是而知之、故郷間・内間可得而使也。因是而知之、故死間爲誑事、可使告敵。因是而知之、故生間可使如期。五間之事、主必知之、知之必在於反間、故反間不可不厚也。
 敵間の来たって我れを間する者、因りてこれを利し、導きてこれを舎せしむ。故に反間得て用うべきなり。是れに因りてこれを知る。故に郷間・内間 得て使うべきなり。是れに因りてこれを知る。故に死間 誑事を為して敵に告げしむべし。是れに因りてこれを知る。故に生間 期の如くならしべし。五間の事は主必らずこれを知る。これを知るは必ず反間に在り。故に反間は厚くせざるべからざるなり。  敵の間諜でこちらにやって来てスパイをしている者は、つけこんでそれに利益を与え、うまく誘ってこちらにつかせる。そこで反間として用いることができるのである。この反間によって敵情が分かるから、郷間や内間もつかることができるのである。この反間によって敵情が分かるから、死間を使って偽り事をしたうえで敵方に告げさせることができるのである。この反間によって敵情が分かるから、生間を計画どおりに働かせることができるのである。五とおりの間諜の情報は君主が必ずそれをわきまえるが、その情報が知られるもとは必ず反間によってである。そこで反間はぜひとも厚遇すべきである。
13-6
昔殷之興也、伊摯在夏。周之興也、呂牙在殷。故明君賢將、能以上智爲間者、必成大功。此兵之要、三軍之所恃而動也。
 昔、殷の起こるや、伊摯[いし] 夏に在り。周の興こるや、呂牙 殷に在り。故に惟だ明主賢将のみ能く上智を以て間者と為して必らず大功を成す。此れ兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり。  昔、殷王朝がはじまるときには、〔あの有名な建国の功臣〕伊摯が〔間諜として敵の〕夏の国に入りこみ、周王朝がはじまるときには、〔あの有名な建国の功臣〕呂牙が〔間諜として敵の〕殷の国に入りこんだものである。だから、聡明な君主やすぐれた将軍であってこそ、はじめてすぐれた知恵者を間諜として、必ず偉大な功業をなしとげることができるのである。この間諜こそ戦争のかなめであり、全軍がそれに頼って行動するものである。

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