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家族新聞 

目 次

家族新聞
  11.11.3
  11.11.6
  11.11.8
  11.11.29
  12.3.13
  12.3.23
   12.5.8  両親金婚式
   14.4.29 5月連休    
   18.8.15 18年夏休み
   18.9.10 故藤田ヤサシ葬儀
   18.9.29 欽次郎どんの会




家族新聞   11.11.3(水)
実家(新潟)で法事のため帰省
祖父の13回忌、祖母の23回忌の法事が10月8日(土)に新潟県新発田市の実家で行われた。
妻とともに帰省
主席者は
祖父、祖母のそれぞれの実家からの親族
祖父祖母の兄弟
母の実家からの親族
父母
父の兄弟(叔父叔母)
私の兄弟夫婦
末弟(実家を継いでいる)の子供
末弟の嫁さんの親族
総計30数名
法事後の会食で父が挨拶
祖父祖母が亡くなってからの苦労が走馬燈のようにめぐったのか、父は感極まり挨拶が中断
感動的であった。
親類皆が仲良くできることがなによりである。

ところで祖母が信仰心が厚かったせいか、隣がお寺であるせいか、いつの間にか父は毎朝仏壇にお経をあげるようになっていた。
私が事故に遭わず生活できるのもこのおかげと感謝した。
法事の翌日も朝6時ころから4〜50分かけてお経を仏壇の前であげた。東京からきた祖父の妹((90歳前)が後ろで合掌をしていた。
お経が終わっても合掌の姿勢を10分ほどとり続けていた。
父と叔父と私がお茶を飲んでいるとき、ようやく合掌をとき私たちに話しかけた。

次回につづく

家族新聞11.11.6(第2回)
おばあちゃんの話では
「びっくりしたよ。暗いトンネルの中にいるの。向こうに小さな明かりがあるの。歩いても歩いてもたどり着かないの。それでも一生懸命歩いたの。一生懸命歩いたの。そしたら気がついたの。不思議だねー。」
おじさんが
「おばあちゃん。良かったね。まだお向かいは早いと言うことなんだよ。」
おばあちゃんが
「ここの家は、お父さんが毎日、お経をあげているからいいよ。」
こんな不思議な会話で終わった。

おじさんは、今一歩のところまでお向かいが来たと思ったらしい。
私は、これに近いが、遊体離脱をして、あの世を少しかいま見てきたのかなと本気で思った。

法事は、祖父、祖母を思いださせていただくと同時に、祖父、祖母を通して、先祖、人間の魂、あの世等をかんがえさせていただくきっかけをいただいたような気がする。(おわり)

家族新聞11.11.8
湯河原に住む、かずお叔父さんが友人の渡辺氏とともに浜松基地に来訪した。
残念ながら、月曜日は広報館が休みであり、T−4航空機を説明し、その後、零式戦闘機を案内し、資料館を案内して、満足して帰られた。
 夜は、おみやげのイカの塩辛でおいしく酒をいただいた。
 そこで俳句を一句
「柚子の香の イカの塩辛 もう一杯」
 ありがとうございました。

家族新聞11.11.29
11月20日に久しぶりに矢本に帰ってきた。
おばあちゃん(妻の母)が、新潟から遊びに来ていた。大変元気で安心した。妻の家事をほとんどやってくれるので、申し訳なく、妻に「これでいいのか」と言うのだが、妻はけろりとしたものだ。私は、ただ感謝あるのみだ。春になればおばあちゃんも畑仕事、家事等で忙しくなるので、それまでゆっくりしていってもらいたい。

家族新聞 12.3.13
先日、新発田の両親から清酒「八海山」が2本も送られてきた。
私は、毎年の身体検査(ミニ人間ドック)において酒を飲み過ぎないように注意されるほど、酒が好きである。
酒の種類は問わないが、最近美味しい日本酒は、わかる。
八海山は、おいしい。唾がでてしまう。
おばあちゃん(母親)からは、何時も「飲み過ぎないように」と注意される。
おじいちゃん(父親)は何も言わないで美味しい酒を送ってくれるが、「自分の体は、自分で管理しろ」と無言で応援してくれている。

感謝!感謝!で、健康で今日も美味しい酒が飲める。
本当にありがたいことだ。
適量の、おいしい酒を、感謝しつつ、いただきます。

家族新聞12.3.23   
  3月18日土曜日から3月20日月曜日の3連休に、長女は宮城から、私は浜松から川崎の長男のアパートに合流した。
  長男のコンピューターのメールが出来ないと言うので、土曜日はそれを直し、焼き肉パーティを行い長男とはじめてスナックに行った。
  私のカラオケは、うまくないが、長男のカラオケは、現代風で結構うまい。家にいるときと違って笑顔もよく、もてそうである。違う面を見ることができた様な気がする。
19日は、長男と原宿、秋葉原、アメ横、上野の西洋美術館(ピカソ展)を見て、渋谷で長女と合流した。足が棒になった。   
20日に、長女を連れて、浜松に帰ってきた。狭い下宿に3人いると疲れる。狭いながらもゆったりした官舎に帰ると落ち着いた。   

家族新聞12.5.8
  5月8日両親の金婚式を行い、両親、兄弟3人夫婦及び孫9人が出席し皆で祝った。
  
  両親は、昭和25年結婚し3人の息子を育てた。
  結婚時は、終戦後の食糧難から復興期にあたり、長男の父以下、叔父叔母9人及び祖父、祖母の12人の大家族を大黒柱として農業をしながら頑張った。
  その後、長男のよっち、二男のふみ、三男のひろをもうけ、立派に育て上げた。
  祖母、祖父に対しても、献身的に仕え最後を看取った。
  見田家の長男として、叔父叔母の独立、結婚及び生活に対しても支援に徹した。
  父は、読書家であり多読をしていたが、これは精神性の高さ故であり、現在は半分仏門に入っている。孫以下全員が健康で事故なく生活しているのは、毎朝のお経による仏の影響と私は感謝している。お経の美声に自分で酔うところがありそうで、益々声が朗々と響きだんだん若返るようである。
  母は、嫁に来てから自分をなくして、見田家のため献身的に頑張ってきた。こんな父母の後ろ姿に、兄弟は育てられた。息子ばかりの母親は、気性がからりとしていると言われるが、まさにそのとおりで気性がさっぱりとして根に持たず、また若干心配性なところもある。カラオケが好きで、よく歌っているため、元気で、よくおしゃべりもして気分転換をはかり、ますます若くなってきている。
  両親は、現在三男夫婦と同居生活をしている。
  長男及び二男とも早々と外に出ていってしまい、残った三男が外にでれなかったこともあろうが、優しい三男の行動に長男、二男とも感謝している。

  最後に、孫達にお小遣いまでいただきありがとうございました。
  機会があれば、また皆で集まりましょう。
  本当に楽しい金婚式でした。

  
  全員がそろった写真

家族新聞14.4.28〜29
4/28(日)矢本〜新潟 自家用車(仙台・山形・長井・小国)250km
久しぶりに里帰りした。
予定は一泊二日。
妻の実家に泊めていただいた。

以下、両親、兄弟、親類の人たちのスナップ。
母のお姉さん。
義姉さん。
よしこさん。
義母さん。
父。
母。
義姉さん。
あり日の義兄さん。
ずんだもちを作る。
このよく伸びる餅は、やはりおいしい!
妻と義姉さん。
義兄さん。
義兄の二男さん。

14.4.29(月)新潟〜矢本 自家用車(小国・長井・山形・仙台)250km
今朝は早く起きて、風景を撮る。
新潟はチューリップ栽培も盛んだ。
隣町の中条町はチューリップ栽培では一番の町だそうである。
ちなみに、県としての栽培量は富山県が一番ですね。
砂地で栽培しているが、地下水が豊富な為花、野菜、煙草が栽培されている。        
煙草畑で散水中。
奥の飯豊山が写真では目立たなく残念。
小さい時から魚とりをした落掘川。
トンボの池。
お姉さんに連れて行ってもらう。
二男、義母さん、妻、義姉さん。
今年4月オープンの新しく出来た紫雲の里(温泉)にて。
900円と少し高いが、塩泉でお湯は良い。◎

皆、元気で安心した。
また、大変お世話になり、感謝!感謝!
家族新聞18.8.15

夏休み新潟に里帰り
新潟から宮城の帰りにおばあちゃんを一緒に連れ帰る。
今年の宮城での夏休みでは、長男とその彼女、長女、二男そしておばあちゃんで過ごす。

はすの写真が撮りたくて、伊豆沼のはす祭りに家内とおばあちゃんと行く。
その時の一句
「ボケすすむ母と船乗るはすの花」
夏休みの終わりにおばあちゃんを新潟に連れて帰る。
ひ孫も大きくなって、写真を一枚!
これが、おばあちゃんとの最後となる・・・・


家族新聞 18.9.10(日)

故藤田ヤサシ 享年86歳
入院中のところ、9月8日(金)朝方、亡くなりました。

2002年8月の在りし日のおばあちゃん。


通夜 9月9日(土)
葬儀 9月10日(日)

葬儀が終わり、親族で食事のところを写真に記す。


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欽次郎どんの会
18.9.29(金)〜30(土)



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両親金婚式130421

五月連休140501

夏休み140813

正月150101

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