酔っぱらっているよっち |
プロフィール
氏名 :見田儀尚
生年月日:昭和27年生まれ
出身 :新潟県新発田市
血液 :A型
家族 :自宅 新潟
妻 〃
長男 宮城
長女 新潟
二男 青森 |
航空学生時代九州研修にて |
昭和 46年 新発田高校卒業
同 年 航空自衛隊へ入隊
航空学生27期
一番の宝物。
74-Bのオリジナルワッペン |
よっちのウイングマーク
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49年 ウイングマーク取得
50年 小牧 8飛行隊(F86F)
52年 結婚
53年 千歳 203飛行隊(F104)
54年 長男誕生
56年 静浜 2飛教隊(T−3)
同年 長女誕生
58年 那覇 207飛行隊(F104)
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平成3年7月 22飛行隊での
ラストフライト |
60年 松島 22飛行隊(T−2)
63年 次男誕生 |
北島三郎氏にUF-104(無人機)に
ついて説明しているところ。
たぶん「この翼の先端は、
鉛筆を削ることが出来ます。」
と前縁を触りながら説明している。 |
3年 岐阜 飛実団飛行隊
4年 硫黄島 UF飛行隊(UF104)
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6年 松島 4空団司令部(安全班勤務)
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4空団最後のフライト
家族とともに
恒例のラストフライト後のみずかけ
1空団最後のフライト(14.3.20)
学生から恒例のみずをかけられた。
定年退職(19.4.26)
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7年 松島 4空団飛行群本部
9年 浜松 教育集団司令部計画部
12年4月 浜松 第1航空団 32飛行隊長
14年3月25日 市ヶ谷 情報本部
15年8月1日 松島 第4航空団司令部 監理部長
17年12月1日 中部航空方面隊司令部防衛部 航空連絡官 朝霞駐屯地
F−86、F−104のファイターパイロットを経験し、その後、第1初級操縦課程(T−3)の教官及び戦闘機操縦課程(T−2)の教官パイロットとして多くの学生を育てた。
平成3年から、硫黄島にて、無人機(UF−104)の運用試験にかかわる。
平成6年から、管理操縦者として一線から離れ、司令部幕僚として活動
12年4月浜松 久しぶりに教官へバックオン
14年3月 市ヶ谷 管理操縦者
15年8月 松島勤務 同上
17年12月 朝霞駐屯地 同上
19年2月 新潟救難隊付
定年後は新潟に住むことにする。親兄弟の住む田舎がいいということで、新潟に帰ることになる。
19年4月26日 定年退官
定年を大きな事故にもあわず、無事に定年を迎えたことは、感無量である。
19年6月末 宮城県から新潟県に引越し
19年7月 損害保険会社に就職
現在に至る
★私の好きな詩★
「雨にも負けず」 宮沢賢治
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体をもち
欲はなく
決して瞋らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
良く見聞きし解り
そして忘れず
野原の松の林の蔭の小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないから止めろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにデクノボウと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず
そういう者に
私はなりたい
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